オーデュボンの祈り
十代の時に一度読んで以来の再読。
あらすじ
私たちは結局優午の手のひらの上
某劇場版の主題歌みたいな小見出しになってしまった。
本作は、売れっ子小説家伊坂幸太郎のデビュー作だという。淡々と、しかしスピード感を持って進むストーリー、個性豊かな登場人物たち。時間の流れ方や作品内の世界観が独特で、最後には綺麗に伏線が回収される。彼の持ち味が既に十分完成されているように思う。
登場人物たちの、優午の手のひらの上での転がされっぷりが爽快だ。「一生懸命自転車を漕ぐ」「普段と違う時間に散歩に行く」など、とうてい運命を動かしているとは思えないささいな行動が見事に噛み合ってとある結末に向かっていく。
優午は「神様役」を降りたくなって自殺を選んだ、という結論に伊藤はたどり着いている。しかし、優午は100年前から伊藤が島にやってきて、やがて島に音楽が持ち込まれることも知っていた。100年先のことまで分かる優午にとっては、その間に何人もの人に「未来を教えてもらえなかった」と恨まれることなど織り込み済みだったのではないだろうか。不幸が起きるたびに少しずつ心を痛めたりするようなことはあったかもしれないが、結局は予定されていた出来事が予定通りに起きた、というだけのこと、くらいに優午は捉えていたような気がする。
そんな「神様役」に辟易したのではなく、大事な友人であるリョコウバトを守るために、100年前から準備をしていた。そのために「人には未来を教えない」ことを選び続けていたのではないか。リョコウバトを守るための行動でありながら、島の人々が少しでも幸せに生きられるように、あるいは友人たちが少しでも苦しまないように、上手に作戦を組み立てているところに、優午の優しさが現れているような気がする。そう、優午は優しいんだよな。
閉鎖された特殊な環境で、外からやってきた人間から見れば多少変わったところはあれど、これまで淡々と繰り返されてきて、これからも延々と繰り返されるであろう、人々に染みついた日常が愛おしい。伊坂作品で感じられる、小説世界への優しいまなざしのようなものを、優午というキャラクターは象徴しているような気がします。優午の手のひらの上であろうと、その手のひらの上で一生懸命になれる伊藤も好きです。やっぱり良い本だった。読書感想文難しすぎ。
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