『みゆき』と80年代の空気感

 この1つ前の記事であだち充先生の『みゆき』の感想を書いたので、同じく『note』で感想を書いてる人がいないか探してみた。すると『駿瀬天馬』さんというクリエイターの方が『「みゆき」が読めなくなってしまったこと 』(https://note.com/tem10temba/n/n593507c59dbe)というタイトルで書いているのが見つかり、その内容が自分にもすごく響いたので記事を投稿してみます。

 駿瀬天馬さんの記事にもあるように、ヒロインの1人である若松みゆきに同級生の「間崎竜一」が惚れ、さらには教師の「中田虎夫」、そして刑事の「鹿島安次郎」がそれぞれ若松みゆきを狙って接近してくる。

 接近してくるといっても、1人は教師であり、もう1人は刑事である。だからなんだかんだいって一定の節度というか、距離をとったアプローチになると普通は思うだろう。しかし、あにはからんや、彼らは猛烈なインファイトを展開するのである。

 例えば、教師と生徒の恋愛ものであれば、教師側は卒業あるいは成人するまでおとなしくしようと考えることも大いにありえる。しかし、中田虎夫はそんなことを微塵も考えず、若松みゆき追いかけて転職し、さらには土下座までしてデートに誘う。鹿島安次郎も同様で、若松みゆきに熱を上げ、職権濫用しては若松みゆき宅に居座るのである。この躊躇の無さには筆者も若干引いてしまうところがある。

 これらのアプローチに対し、若松みゆきは気持ち悪がるようなこともせず、「しょうがないね。」的にいなしていく。若松みゆきの優しさもあるのだろうが、そのメンタルの強さに脱帽である。

 いや、若松みゆきに限らず『みゆき』に登場する女性陣はみな強靭なメンタルの持ち主であった。若松みゆきが某マンガ家について「ビキニとかパンティー姿ばかりかいてる」などと紹介しているように(10巻)、『みゆき』には女性のパンチラシーンがよく出てくるが、これに女性陣が強烈な拒否反応を示すことは稀である。極めつけは『校内アクションカメラコンテスト』(6巻)で、荷台を使った滑り込み撮影や、果ては二枚目キャラの「香坂健二」による地面に置いたバックに隠したカメラでスカート内を撮影といった妙に生々しい行為まで行われる。女子生徒たちもブルマーなどで対抗するが、それでも動揺してヒステリックに抗議してイベントを何が何でも強制終了させようとまで動いている様子まではみられない。中田虎夫が教師の学校にお願いしても無駄とあきらめてるだけかもしれないが、ここまでくると個々のメンタルが強いというより、性に寛容な文化なのかと思わせるものがある。

 天才バカボンでパパが「これでいいのだ」の一言で全てを肯定したように、『みゆき』でも「ムフ❤」の一言で全て許される感がある。男子たちの行動はあくまで「ムフ❤」の範疇にあるのだろう。いい大人である中田虎夫や鹿島安次郎にしてもかわいい女の子に対する「ムフ❤のノリでやってるだけかもしれないのである。ただ、駿瀬天馬さんの記事にあるように、令和の時代に生きる我々においては「ムフ❤」で済ますにはちと厳しい。少なくとも女子たちが「ムフ❤」の感覚を共有するのは難しそうで、まかり間違っても東大の上野千鶴子先生に『みゆき』を読んでもらい突っ込みをお願いするのは避けるべきだろうと思われる。

 などと思うことをいろいろ書いてしまったが、『みゆき』は間違いなく傑作であり、本質は真人と若松みゆきと鹿島みゆきの三者が織りなす切ないラブストーリーである。この記事を読んで『みゆき』を食わず嫌いすることがないよう、どうか一度読んでみてください。

  

 

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