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気配を信じる事を教えてくれた子

アニマルコミュニケーションにおいて、何処まで自分を信じられるかはとても大事な事になります。瞑想による集中、話す場所作り、動物の来訪、そして動物から受け取った内容。どれも疑うと基本的に正誤の判別はつかないものになります。だからこそ先ずはそれ等に対し確信を持って信じる事がとても大事なのです。

自分自身の身近にいるペット、家族達は共にいる空間が当たり前である為、意外と普段との違いが判りにくいと私は思います。”たぶん”居てるわ。と”たぶん”が飼い猫と練習している間は抜けませんでした。正直自らの飼い猫に関しては家から離れて行わない限り、未だ”たぶん”です。

一方、自らの飼い猫ではない子達との話において、“たぶん”は既にありません。(受け取った物がどういう意味なんだろう?と悩む事は現状しばしばありますが。)これは貴重な初めての経験のお陰様であると思います。

確か一年前の5月の事でした。車を走らせていると道路を横切る黒い子猫と遭遇しまして、保護したものの病院にたどり着く前に、片手で抱えられた膝の上で血の混じった尿と便を漏らし、鳴いて息を引き取ったのを覚えています。ほんのわずかの時間しか関係の無かった子ですが、仕事を早退した後に手土産を持って病院に行き、お供え替わり菓子折りを獣医さんに泣きながら押し付けて帰ったのを覚えています。そして今年の5月にふとその子の事を思い出したのをきっかけに話をしてみようと思ったのです。まだ二回目の講座を迎えてなかったと思います。その子の事は写真も撮っていなかったので、私自身の瞼に残る面影や体験の記憶から繋がるしかなく、誰かにお願いをする手も思いつかなかったので、より一層自分でしてみようと思ったのでしょう。面影を便りに呼びかけ少し遠くから覗いてくる気配を感じ話しかけました。そこで「ごめんな。助けられなくて」と言いかけた時に「そんな話ならいらない。」とスーっと離れていきかけたのを慌てて「せやな。ありがとう。とても暖かくて可愛かったよ。」と言い直し「うん。」と気配が戻ってきて、その暖かみをしばらく感じて「ありがとう。出会えて嬉しかったよ。またね。」と見送っています。

気配の呼びかけに応じる子たちの雰囲気は個性の為まちまちですが、あ。きたなと感じ取りやすくなったのはここからです。そして逆に、「あ~忙しいのかな。時間空けて、もう一度してみるか。」と感じられるのも、この子の時の感触と、次に話す子との体験のおかげです。

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