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きっとこれからも、たりない

ちょちょ調子どない?
と聞かれれば答え一つ、「全然たりてないのよ」

オードリー若林さんと南海キャンディーズ山里さんのユニット「たりないふたり」の解散ライブが先週の月曜日にあり、オンラインで視聴した。2時間の即興漫才。天才と天才の攻防。感想をぼやぼやと書くのは野暮なので控えるが、とにかくお笑いを見てあんなに泣くとは思わなかった。

それも、ツーーっと涙が出るのではなく夏の高校球児ばりに泣いた。全然野球やったことないけど。うわあぁぁぁって。「たりないこと」を軸に繰り広げられる些細な出来事が、二人の人生の大きな部分となり、そしてその考え方が笑いにギュッと落とし込められて、ボンっと俺らに届く。二人の言葉がズシズシと自分の心に刺さってくる。笑いて泣いてぐっちゃぐちゃだ。

自分自身の、足りない部分。
小さい器。
相手が悪気なく発した些細な一言を肝要な心で受け止める余裕がない。
プライド高くて素直に意見を聞き入れられない。
周りの目を気にして気に入られようとする。
作り上げた理想と目を背けたい現実とのギャップというクレバスで埋まる、苦しむ、絡まる。
キリがない。
それでも、僕自身も「明日のたりないふたり」になっていいのかな、なんて思わせてくれる。Creepy Nutsがまさにそうなったように。

俺はまだこんなもんじゃねぇ。

さっきまで金曜ロードショーは「ボヘミアンラプソディー」を上映していた。2018年あれを映画館で見た時に感じた「俺もまだやれる」という感情がまだ生きていた。その時の眼を、衝動をグツグツと煮込み振り回していくしかない。あの二人がそうしてきたように。


「自意識過剰 被害妄想 自己顕示欲の大暴走
 偏見まみれの色眼鏡かけて 今日も視界良好」

応答せよマイメン。



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