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身の回りの儀礼を探してみた【しょぼいレポート】

本noteのざっくりまとめ

目的
「宗教生活の基本形態」の内容をもとに、人間社会における儀礼を有効活用する
主題
身近にある儀礼をピックアップしよう
状況
ほぼ読んでいません!代わりに、すでに終わった人のスライドとサロン内でシェアされた内容(議事録)をもとにまとめています(2020/07/05)

まえがき

 プロ奢サロンで実施した儀礼研究が一通り終わったので、レポートを書いていきます。今回のテーマは「自分の身の回りにある儀礼」ということで、身近にある儀礼を紹介していきます。参考図書は宗教生活の基本形態。かなりのボリュームがありますが、Kindle版は破格の2700円程度と抜群のコスパです。書籍のタイトルはうさん臭さ全開ですが、#プロ奢儀礼研レポート を読んで興味がわいた方、ぜひご一読を。前回の贈与研レポートもよろしくね。

おさらい

儀礼研究の目的:
社会で行われている「行う合理的な理由が見つからない行為」が残り続けている理由を明らかにしつつ、うまく会得して有効活用する
儀礼の定義(3つ):
①2人以上の人間が
②テンプレ化・周期化された動作を伴って
③非日常的な体験(=聖なるもの)を共有する
行為のこと

 今回は身近な儀礼を3つ紹介していきます。ささやかな試みとして、儀礼が続く期間や関係人口も書いてみたので、読みながらも身の回りにある儀礼に思いを馳せてみましょう!

①仲間内のゲーム大会:短期的・数人規模

 これは、僕が小学生の頃の話になります。当時のさぼっち少年は、自分から同級生に声をかける勇気がない気弱なコミュ障でした。そこで、好きなゲームの力を借りて友人関係の構築に挑みます。休憩時間にウノやトランプ、必要以上の消しゴムを持ち寄って消しピン大会を開くなど、クラスメイトとゲームによる交流を試みました(カドケシ、耐久力あって強かったことは覚えてる。合体してた)。
 ゲーム大会がクラスで普及していくうち、架空のキャラクターを決めてロールプレイする謎のゲームを開発する者も出てきて、楽しかった記憶があります。
 これを儀礼の観点で言えば、「ウノ楽しい!ゲームやりたい!」のトーテムを自ら用意し、ゲーム仲間を作ることで連帯感を生み出したということになります。この「休み時間に複数のクラスメイトとゲームをする」という儀礼は、僕が小学校に在学していた時期に限られていること、関係人口も数人規模であることを踏まえると、とても狭い範囲で作用するタイプの儀礼だと考えています。

②体育祭の応援練習:長期的・数百人規模

 僕が中学、高校時代に経験した体育祭にて、しきたりっぽいものを感じたので紹介します。僕の通っていた学校は中高一貫校で、体育祭では中1から高3に至る全校生徒が4つの組に分かれて競技を行います(1学年200名ほど、合計1200名ほどが在学していました)。各組には応援団という有志(ほぼ強制)のチームがあり、組ごとに応援の振り付けが伝統として受け継がれています(儀礼のにおいがプンプンするぜ!!!)。
 極めつけは、この応援団の幹部の格好にあります(”幹部”って表現も、また古風な感じがしますね)。幹部は最高学年の高3が務めるのが恒例で、本番や応援の練習の際には半裸の上から法被、下駄を履いて竹刀を持つのが伝統になっていました。
 参考までに、下の画像をご覧ください。

画像1

一昔前のヤンキーかな?(偏見)

念のため言っておきますが、彼らはグレてこんなことをしているワケではないのです。「全力でフェアに闘う非日常」を楽しんでいるだけなのです。ちなみに、普段の恰好がこちら↓

画像2

8年ぶりに袖を通しました
(2020年7月8日撮影)

画像3

学ランはこんな感じ。

 見た目のギャップ、お分かりいただけたでしょうか?体育祭というイベントが非日常であることを、見た目からわからせていく感じをビシバシ感じませんか?
 組ごとに特有の応援と泥臭い競技で盛り上がり、生徒たちが団結していく。まさしく体育祭に参加する「私たち」が競技を通じて「集合的沸騰」を経験し、「生徒同士が勝利に向かって頑張った非日常」という「聖なるもの」を得ていると捉えられるのではないでしょうか?

 実際問題、若い在校生は体育祭を機に、先輩との親交が育まれるケースが一般的でした。とりわけ、高いパフォーマンスや集団の中心に立った経験を発揮した者ほど、学年の垣根を越えて他人と打ち解けやすくなる傾向がありました(サッカー部、水泳部の顔見知りの多さたるや)。まさしく体育祭は、学校での人間関係を定めるための通過儀礼として機能していると言えるでしょう。として機能していると言えるでしょう。
 髪を染め始めた時期は定かではありませんが、高3の幹部が法被を着る伝統は学校が設立された初期から続いているとのことですので、体育祭は長期間続くタイプの儀礼であると、僕は考えています。
 余談ですが、体育祭の終了後には打ち上げが控えています。儀礼の観点に照らし合わせてみると、本番までの練習期間はピリピリして競技に打ち込み続ける「第1局面」、終わった後は緊張を解いてゆっくり休む「第2局面」が見受けられます。第1局面では「本番に向けて泥臭く頑張ること」が生徒の間で有力なトーテムになっているため、このタイミングで練習をサボっていると上級生にキレ散らかされるワケです。こうやって振り返ってみると、ちょっと納得できる気がします。みなさんはどうでしょう?

 穿った見方になりますが、このような通過儀礼に対して圧力を感じて、どうにも馴染めない生徒もいます。団体行動や運動が嫌いで体育祭の練習をサボって校舎裏でニンテンドーDSをいじくり回すような”一定の水準以上に集団へ溶け込めない人間”はマイノリティに区分けされ、排斥の対象になることもあります。マジョリティ側の人間は、この「一定の水準以上に集団に溶け込むこと」が「当たり前だ」と思うことをトーテムにしており、このトーテムとは異なる信仰をしている人間のことを「常識がなってない」と揶揄するわけですね。つれぇ。。。

③アマビエ、ぴえんこえてぱおん:短期的・数万人規模

 2020年現在、世界中でコロナ禍に見舞われていますが、2月ごろからTwitterで観測された現象がありましたね。そう、「アマビエ」です。
 アマビエとは江戸時代に作成された瓦版に記されている架空の妖怪であり、その姿を絵に描き写すことで、厄災を避けることができると言い伝えられています。絵描きの方々の間ではアマビエのイラストを描き、Twitterでシェアする行為が一大ムーブメントになっていました。僕は、これも儀礼の一種ではないかと思います。

 ただ、絵を描いただけで災厄が避けられるのであれば苦労はありません。それでもアマビエのイラストがSNS上でシェアされているのは、「アマビエを描く」という儀礼を通じて「聖なるもの」を受け取っている人間がそれだけいるからではないでしょうか?
 その「聖なるもの」は、きっと個人によって異なるでしょう。コロナ禍に苛まれていく日常に対する不安を払拭したい、自分以外にも災厄に対して危機感を抱いている人の存在を感じて安心したいという気持ちを満たしている人もいるでしょうし、僕のように単純に面白がってアマビエを描いた人もいると思います。(「突発的なムーブメントに乗っかる」という非日常を経験することで、「新鮮味があって楽しい」という「聖なるもの」を体験しているので、話の構造としては一緒だと解釈しています)

画像4

アマビエちゃん(さぼっち作)

 そしてこの「面白がる気持ち」、「ノリ」について考えてみると、「ぴえんこえてぱおん(「ぴえん」の上位互換)」なる謎のオノマトペや、タピオカドリンクを飲む行為が流行っていることにも説明がつくような気がするのです。その表現や行為自体に意味がなくとも、「流行っているものを自然に取り入れているウチら、イケてるよね~♡」などというトーテムを信仰している若者がいっぱいいるんだなぁという気持ちになります。タピオカドリンクは甘すぎて喉がすごく乾くので、僕はカルピス牛乳がいいやと思いますけれど。
 これらのネットで流行する行為は非常に短期的ではありますが、特定の世代に対して爆発的に流行するタイプの儀礼かなと解釈しています。

まとめ

 さて、締め方が雑になってしまいましたが、さぼっちの周りにある儀礼の紹介は以上になります。3つの儀礼を振り返ってみて印象的に感じたのは、規模が小さい儀礼を身近に感じるという点、そして儀礼やトーテムは何もない所から作れるという点です。
 儀礼に関する知識を持っていなかった小学生のころに自分でトーテムを作って非日常を楽しんでいたという気づきを経て、人間には儀礼を利用して自分の望む秩序を作り上げようとする習性があるのかもしれないと感じました。
 今も、古典を読む(読んだ気になる)という行為を通じて過去に思いをはせ、これまで見つけられなかった気づきを得る体験をしたわけで。そう考えると、儀礼って奥深いですね。

 それでは、下の振り返りをもって、さぼっちの儀礼研レポートをおしまいにしようと思います。

①儀礼にはいろいろあるが、信仰するもの決められた行為信仰の結果得られるものがセットになっている
②人間は儀礼に頼ることで、自分の望む秩序を(無から)形作る

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。面白かったらスキかシェアをお願いします。ほかのプロ奢サロンメンバーも #プロ奢サロン儀礼研レポート のタグでnoteを書いているので、よかったらご覧くださいね(*'ω'*)

それでは!

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