見出し画像

「選択ver2.0」と、コストの概念。2020年を振り返る。【しょぼい日記】

まえがき

大晦日にかこつけて、一年の振り返りをしてみる。今年は精神的に大きな変化があった。コロナウィルスの世界的な流行で、島国日本でも生活スタイルの切り替えを余儀なくされた。
僕もその影響を受けた一人である。日頃は感染対策を励行している一市民として生活を送ってきたのだが、世間が押し付けてくる「自粛しろ!」という閉鎖的な枠組みに囚われるがままなのはつまらない。なので、世間に迷惑はかけないようにしつつも自粛ムードを利用して、楽しい方向に持っていけないか?それはどうすれば実現できるだろうか?という問いを壁打ちする毎日だったと振り返っている。
その中で「選択」と「コスト」の概念について、理解度が上がったなぁという認識が芽生えたので、これを今年の振り返りとして残しておきたい。

開き直り気味の「選択」

モノを持つとは、モノを捨てることである。
今年は、「選択」を強く印象づける時間だった。
労力を割くと決めたこと、手元に残すもの、新たに手に入れるもの、そして手放すもの。この一年を通じて、積極的にその辺りの代謝がなされたと感じている。
過去に血迷って購入したたっかい家電を、粗大ゴミ回収やメルカリを通じて手放した。これまで描いてきた紙媒体の絵を、データにして原本を捨てた。会社の先輩から勉強用にと貰ったプログラミングの本は、結局2年間で一度も開かなかったから売った。
それら全てには僕自身の決断や人間関係という情報が伴っているせいで、どても手放しにくかった。でも、手放す事による損失以上に、自分自身の身辺整理ができることのメリットを感じるようになったのだ。
モノを持つということは、それを持ち続ける判断を常に迫られるということであり、捨てる判断を未来に予約することでもある。モノを使わないときでさえ、それらを持ち続ける決断コストが僕らの精神から余裕を差し引いていく。
それが自分にとって本当に必要なのか分からない曖昧なものほど、その決断コストは跳ね上がるし、時間を置くほどより面倒になっていく。さながら無理してブランド品を買って発生する、リボ払いのように。
いっそのこと捨てたほうが精神面の消耗は減らせるし、使わないモノは素直に手放すという健全な営みも送れる。手放す前はサンクコストに悩んでしまうのだけど、結局のところ使わないものは使わないから部屋の隅に置きっ放しになるのだ。
1年間で捨てたモノたちの購入金額は、さぞかし凄いことになっているだろう。それは仕方ない。自分のニーズなんて変わっていくし、そもそも自分が本当に欲しているかなんて質問の答えは、使ってみないと出てこない。
ただ、欲しいものはまず捨てる時のことを考えて、「それは、無理なく捨てられるか?どう捨てるのか?」という問いに納得した答えが返せるかどうかで、所有するモノを選別できると思う。
捨てるまでの過程まで納得しているのであれば買えばいいし、使ってみて自分のスタイルに合わないならすぐに手放せばいい。それを繰り返していけば、少しずつ「自分の欲しいモノ、無くても困らないモノフィルター」がハッキリしてくるのではなかろうか。

捨てること・諦めることで自己理解が深まった
捨てられるモノは、物理的な存在に限らないと思う。何かを諦めることもまた、捨てる行為だと思う。こちらについてはプロ奢ラレヤー氏の著書「プロ奢ラレヤーのあきらめ戦略」と大原扁理氏の著書「20代で隠居」を参考に、「他人からの期待(社会人として生活する自分への期待、家族からの無意識レベルでの要求)に応じる自分」を、諦めた。端的に言うと、誰かの期待やキャリアよりも自分の健康を優先するようになった。
仕事でも予定通りに作業を進めようとして根を詰めるやり方を、定期的に休んで精神に限界まで負担をかけないようにした。
家族が勝手に決めたルールについては、最低限しか守らないようにした。すべて守ろうとしても結局のところモチベーション頼りになって、結局自分に負荷がかかる。家族との関係を良好にできないのは心苦しくはあるが、そこは諦めて距離感の取り直しをしていきたい。

コスト概念のアップデート

自分自身の特性に合わせて無理のない行為に労力やお金をかける行動様式を、以前より取りやすくなった。
プロ奢サロンの人類との対話を通じて、自分に課したハードルやプライドは現状では叶え続けるには高すぎること、そのハードルをしょぼくして継続することの方が大事だということを学べた。

僕は冬場や梅雨などの季節の変わり目になると、精神的に不安定に陥るために明日を迎える恐怖のまま夜ふかしをしてしまう。この問題は自分のモチベーションという不確定要素で打開をしようとしてもうまく行かないので、精神的に余裕を生む習慣づけをローコストで行えるように行動を少し変えることにした。
では、ローコストでできるリフレッシュとは何か?一日一時間くらいの散歩はそこまで苦労さずにできる。実際やってみたら週3回はできることと、気分転換ができて夜になると襲われる恐怖が少し減った。その一連の流れを自分で承認できるようになった。これが毎日ランニングやジムでのトレーニングだったら、きっと一日やっておしまいだったと思う。意識の高い運動をリフレッシュ手段とすることを諦めたお陰でできたこと。
持続可能な活動を「コスト」という概念で捉えることで、これからの人生でチャレンジすること、リソースを絞ることに対する理解を深めて行ければと思う。

来年の抱負

コストの高い行為との折り合いをつける
2021年は社会人として足を突っ込みながら、自分自身のコストに見合う持続可能な活動を探していくことを念頭に置いた時間を過ごしていくのだと思う。プロ奢ラレヤーを始めとしたサロンの人間との対話やを経て、諦めること、手を付けられるように欲求のサイズを調節することが自分にとって生きやすい生活環境を整えることに繋がることを知った。
これからは「いやなこと」との距離感を置いて、社会構造に飲み込まれないようにあがいていくことになるだろう。
具体的には実家を離れて一人暮らしを再開することを初期段階として、自分を正社員から開放したいと思う。詳しくは後ほど、また別の機会にお話したい。

ということで、2020年の振り返りをこの辺でおしまいにしようと思います。
良いお年を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?