幸せになりたくば、ポジティブな習慣コンボデッキを組め!【幸福とは何か?】
まえおき
このnoteは、プロ奢ラレヤーの運営する「三ツ星スラムのゴミ捨て場」にて課題図書に挙げられた「功利主義( J.S.ミル 著 , 関口 正司 訳)」を肴に、幸福について私見を発表する投稿である。
なお、投稿主は本書を読まずして、実際に読んだ人の意見や調べて得た知識から「こういうものなんじゃね?」と雑に意見している。なので、「コイツなんか変なこと言ってんな~」程度に雑に流してもらえると嬉しい。
功利主義って何ぞや?
功利主義またはユーティリタリアニズム(英: utilitarianism)は、行為や制度の社会的な望ましさは、その結果として生じる効用(功利、有用性)によって決定されるとする考え方。帰結主義の一つ。
(wikipedia『功利主義』から抜粋)
リンク先の文言を自分なりにまとめてみると、功利主義とは「社会に所属する人にとって、安心や充実を感じさせてくれる仕組みを作るのが望ましいぞ!」という考え方だと捉えられた。
幸福って何ぞや?(自説)
功利主義の中身には「幸福」という概念が含まれているため、これについても自分なりに言語化する必要があるだろう(というか、この投稿はこれがキモなわけだし)。「幸福」については、これまでにいろんな頭のいいおじさんたちが各々いろんな考え方を示しているので、簡潔に「これが正解!」と言えるものは無いのだろう。
なのでこれも、自前でまとみてみた。
・幸福とは、「ポジティブな習慣」の連続である。
・「ポジティブな習慣」とは、「充実」を感じた行為をパターン化した動作である。
この自説について、日常で感じた「幸福」を例に挙げつつ説明したい。
日常で幸福を感じた実例、その共通点
さぼっちは、「幸福」を「充実した行為の積み重ね」と捉えている。
ということで、最近日常生活で「充実」を味わった経験を並べてみる。
うーん、めっちゃ主観www
一覧化してみて感じるのは、「充実」を達成する裏には”かけた労力”と”見返り”のバランスが関係しているのではないか、ということである。
例に則ってチョコパイで説明していこうと思う。チョコパイはチョコレート菓子の1種であり、競合としては同じチョコレート菓子(キットカット、エンゼルパイ、アルフォート、トッポなど)がある。
その中でも1包装単位でのサイズや食感、味覚情報の大きさなどの観点において、チョコレート菓子の中でもチョコパイを食べる時が最も充実しているとさぼっちは判断している。チョコパイは、”「食べる」という労力”に対して”チョコレート菓子の中でもメッチャうまい(主観)”という見返りのバランスが確立しているからこそ、「充実」しているし、チョコパイを食べる生活を続けていくことが「幸福」に貢献している、と言えるのではないか?
逆に、100均で購入したボールペンに対しては、”書く”という動作に対して”最低限、かすれることなく文字が書ける”ことを期待しているため、それ未満の見返りしか返ってこないボールペンに対して不十分な気分を持ち、充実には至らないのではないかと考えている。
ポジティブな習慣。「労力→見返り」のコンボ
上記に挙げたような「充実(=”労力”と”見返り”のバランスが確立された行為)」を積み重ねることで、「幸福」を実現できるのではないか?とさぼっちは考えている。この「充実」を1コンボとしてパッケージングし、習慣として落としこむことで、「幸福」を人為的に発生させることができる。そういうメカニズムが隠れていると思う。このコンボのバリエーションを多様に備えていくことで、複利的に「幸福」を増幅させられるのかもしれないと思うと、少しだけ前向きに自分にとっての「幸福」について考えたくなってくるかもしれない。
まとめ
・幸福とは、【「充実」を感じた行為をパターン化した動作】の積み重ねである。
・「充実」コンボをたくさん詰め込んでデッキ作ったら、めっちゃ「幸福」になれんじゃね?
・チョコパイは、いいぞ。
以上!
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