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エッセイ ジャンク臨床心理士のつぶやき

思春期の子育てが難しいのは知っていた。
大学のゼミの恩師は、思春期専門外来のサイコドクターだった。

3週間前から不登校をはじめた中学生の長女が、夜9時に一人で散歩に出かけたいと言う。
本人を信じてはいるけれど、
思春期の揺れる心を、私はもう見透かすことができないし、見透かすべきでもない。
立ち入れない領域が出来たのだ。

ジャンク臨床心理士の私は昔から、なぜ母の声に違和感を覚え、祖母の声に安堵を感じるのか、自分自身の心理を、いまいち解せないでいた。

私が中学1年生のときーー母が私達きょうだい3人を置いて、家を出て行った後に、
祖母がなぜか、下校中の私を慌てて迎えに来るようになった。
田舎の夜道を一人でとぼとぼと歩く私を見つけると、祖母が慌てふためきながらよろよろと駆け寄ってきて、
「ああ!良かった…」と、息を切らしながら膝に手を置いて、肩をがっくりと落とすのだった。

ある日、通学路が私の中では数通りあったがために、祖母と入れ違いになった。帰ってきた祖母にたいして、とっくに帰り着いていた私がキョトンとすると、祖母が「どうしてばあちゃんがこんな思いをせんと悪いんや!」と泣きながら声を荒げた。ふだん温厚でにこにこ可愛いおばあちゃんがあんな態度を見せたのは、その1回きりだ。父は俯いていた。



その少し前に、下校中のわたしは暗闇で、変質者に遭った。黒いニットを顔まで覆った男に、人通りのないところへ押しやられ、陰茎を握らされた。然し、12才の少女には、漢にされた内容を口が裂けても言うこと勿ど出来ない。その夜、家に着いて泣きじゃくるばかりの私を、父と祖母は、心底狼狽えて見ていた。そのうち父が「殺してやる!」と叫んで家を飛び出しそうになったので、殺人事件を防ぐために私は、咄嗟に「最後までされてない!」と叫び返した。

13才の私は、この文脈も読み取れない、No天気なお嬢サンだった。しかしそう叫んだのが、祖母だったから、なのではないかとちょっと正当化を試みている。女親が傍にいないという事。
その頃母は、DV夫から逃げ惑って、友人の家を泊まり歩いていた。

四十を過ぎて、娘が私と同じ歳になって、ようやく私は、祖母の思いを理解した。

母は、この気持ちを今も知らないでいるのだろうか…?今も、母に守られた娘のままでいるのだろうか…?
私は、娘から、母をすっ飛ばして急におばあちゃんになってしまった気がした。

夜9時に、一人で散歩する娘が心配で、家に居続けることに精神が堪えらず、厳しく言いつけたつもりのマンションの敷地内を、ぐるぐると歩いた。マンションを一周する頃にようやく心が落ち着き、エレベーターで自宅階に着くと、LINEが鳴った。

「今家にいるよ?!」

私はよろよろになりながら、夫の隣でごろごろしている、娘の驚いたような笑い顔を見た。

娘と何処かですれ違った。
それは、強い母として君臨した私が、弱い母になった瞬間だ。

「私は、弱い人間だ。」

宝のような娘の身体を、仰ぎ見た。自分のちっぽけさを自覚した私は地下へと潜った、今までになく、それはもうどっしりと。
すれ違った娘の心中に在るのが、弱い母を守る決意なのか・捨てる決意なのかはわからないけれど、私とは違う方向へ颯爽と歩いていった。

母など殺していけ。目を瞑って祈った。

女=「身籠る性」ではない。「身籠るかもしれない性」なのだ。

さざ波のように、
揺れる、
揺れる。

動揺する私と、
動じない貴方達、

動揺する私に、力がある。

光あれ、と。

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