性濁 手記3



書かなければならない。物語が変質してしまう前に。

彼が素人だったらこんな独白は書けなかった。私と彼の間に起きたことを、もし誰も知らなかったらこんなものは書かなかった。その場にはいなくても、その場にいた証言者はいるのです。私のフラッシュバックに遭遇した人たち。長い歴史の中で、やむにやまれず、その秘密を共有した人たちもいる。私の一番コアな部分。根底のアイデンティティ。あなたが隠し通そうとした事実は、地下では堂々と水脈としてずっと流れ続けている。今も。

いつも途中から嫌になる。最初は悦に入っている。引っかかった また引っかかった 馬鹿みたい くだらない武士の勝ち負け くだらない権力闘争 ばかだってわかっていればいいのに、それがわからない。組み敷くことでしか威張れない可哀想な人達。

11歳から13歳までは「いたずら」と呼べた。私はずっと寝たふりをしていた。13歳で母の宗教が父に露呈し、父の母への説得という暴力が眼前で行われるようになってからは、彼は急に荒々しい扱いをしはじめ、私がいることなどお構いなしに扱うようになった 私はされるがままごろごろと転がっていた。まるで父への挑戦かのようにこれみよがしに、父がリビングにいるときに、炬燵の中で妹の性器いじりをやめない。(気づいて!)  私の心の叫びはむなしく消えた。兄は勝ったようだった。
父のいるリビングで、野球部の彼のマッサージや筋トレに、身体を押さえる役として付き合わされたりもした。父は何も言わなかった。滑稽だ。私は何も考えてないけど、ただ物凄く気分が悪かった。私のケア精神が一縷の動機となって、頼まれれば断るという習慣もなくて、いつもひとり、引き下がらずにただ流されるまま、前に進んだ。何があろうとも、道なき道ばかりいつも、何の考えもなしに歩いた。

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破綻した人間の文章を読むのは不安になるだろう。完全に逸脱しているからだ。私の精神はもう箱庭の中には収まらない。精神の深淵に、既に私は落ちている。落ちたまま、生きている。それは向精神薬や福祉のおかげだろう。その恩に、応えなければならないと思うのが日本人の精神である。刺し違えるつもりでいく。

トラウマに触れる。躊躇なく触れる。臨床心理学の知識を背に、医者に守られ、強靭な理性で、子を人質に。
他人から決められた倫理の中で。倫理ーー直径3000kmの倫理の中で。けれど私の倫理は、いつだって半径2mだ。では、人類の倫理はどうだ?

私の魂を殺した罪くらい、
原爆を落とした罪とくらべたら、
そこまで大した問題じゃないよ。
逃げ隠れしないで。

なぜこんなにいつも複雑骨折してしまうのだろう。言葉が圧倒的に足りない。体験に、言葉が追いつかないの。そのことに気づけない人の方が多い。理解されないってそういうことだ。私達の前提はすっ飛んでいる。幾時代前の前提を引き摺っているんだろう?

ふいに心臓がどくどくと打つ。日常生活の中で、それにあまりに慣れている最近の私は、一体何に触れたのかを、探し始める。私の記憶のアーカイブの中をサーチライトが素早く動く。呼び水は、あちこちにある。お兄ちゃんという響き、兄妹という字、お父さん、お母さん、それに付随するあらゆるもの。離婚、再婚、暴力、近親漢、夜這い、純愛。たくさんの言葉の塊に出会うのが怖い。言葉の塊が見えるともう予期不安で圧迫されてしまう。かならず何かに触れるから。

あらゆる場面で生理的嫌悪感の壁にぶち当たる。人生は壁だらけだ。
ペンネームの自分と元の自分は、既に混ざり合い、元の自分を侵食している。
問診票に書く自分の本名に違和感を感じている。なんなら自分の名前がすぐに出てこない。こうやって認知症や多重人格者になっていくのだろう。本当の自分のFacebookを消したら、もう自分じゃなくなる気がする。


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兄は私の胸を、形がよくなるように揉んだ。私は寝たふりをしたまま、形よく成長した自分のおっぱいを想像していた。ふと目を開けると、兄のいがいがした頭髪が見える。
なんと惨めな光景だろう。惨めなのは私じゃなくて、一生懸命まさぐる兄の方だと思っていた。
(もうこれ以上触られるのは嫌だ)、という意思表示は、起きるそぶりで表した。そうすると、兄はばっと手を引いていた。
あの頃はまだ、私の人格があることが許されていた。

少しずつ、起きるそぶりをしても抑制が効かなくなっていった。私はできるだけ、階下の祖父母のベットで寝るようになった。
たまに自室で寝ていると、彼がやってきた。
私から絶対に手を取ることはしなかった。ただし取って欲しそうな空気を感じたことはある。(おまえも起きているのだろう)と。途中で絶頂を迎えてしまうのは恥ずかしかった。いやな恥ずかしさだ。

私が最も気持ち悪かったことは、朝起きると、何もなかったように話しかけてくることだった。なんなら、私に、塾で出会った綺麗な憧れの女の子の話を非常に楽しそうにすることもあった。私に向かって、彼女を絶賛するのだった。私は吐き気を催し、頭がくらっとなった。(こんなおまえに恋が叶うはずがない)と心の内では呆れ呆れ呆れの嵐が巻き起こっていた。

部屋に入ってくる頻度は徐々に増えた。
ある日、起きるそぶりをした。脚を大きく捩(よじ)り、股間にある兄の手を追い出そうとしたのだ。するとぐいっと手掴んで私の脚が開かれた。しばらくその押し合いが続いた後、太腿をぱちりと叩かれた。一瞬の静寂があり、その後もう一度太腿を動かしたら、今度はばちーんと叩かれた。かたりと倒れた太腿。寝ているのでもなく、起きるのでもなく、ただ横たわっているだけになった。意思をもつことはよした。嫌とか嫌じゃないとかいう問題はなくなった。させたいようにさせてあげた。ただいつもじっと横たわっていた。

口付けはなかったし、頭を撫でられたこともない。およそ愛とは言えない触れ合い。

私の居室の銀のブリキのゴミ箱に、ぐしゃぐしゃのティッシュを捨てて行った。私の部屋のティッシュを使ったのだ。指でつまみあげたらねっとりとしたものが付いていた。

母はそれを恋だと解釈した。その場にいなかったから。ずっと神様に夢中で、私たちを見ていなかったから。見ることも、許されなかったから。
これは、愛がある触れ合いでは決してない。

大学生のとき、仲良くなったイケメンNくんが来るホームパーティーに出かけ、帰るのがおっくうで兄の家に泊まった。私はいつだってあまりにいいかげんだった。幼稚園児のときだって、二段ベットの二階から床に落っこちてもなお、寝ていた。兄は当たり前のように私が過ごすロフトへと梯子をのぼってやってきた。いつもどおりに当たり前のように私の身体をマスターベーションの道具にして、その日は膣に入れるかどうか迷うそぶりを一瞬感じた。目を瞑っていたけどその迷いは知覚できる。一瞬の静寂のあと、彼は私の胸の上に射精した。朝が来て自分で拭き取った。下着もここ数年は直さずに取りっぱなしだった。気持ち悪いだとか、ショックだとか、そういう感情のようなものは何にもなかった。

大学2年生で、愛のある触れ合いというものを知った。涙が出た。全く違った。同じクラスのちょっと女の子っぽい男の子だった。なんとなくそういう流れになって、でもやっぱり身体の触れ合いは嫌で、でも身体を触れられると快感に抗えず、いつの間にか恋人ということになった。でも本当に大切に尊重してくれる人だった。みんなはちょっと意外そうというか、心配していた。私の純愛に踏み込めない結果としての彼との関係を見守っていた。彼は誠実で優しく一途だった。

私のことを「君は、恋人だけど、妹みたいな、娘みたいな、不思議な気持ちにさせる」と言ってくれたその彼とは、事故みたいな性的嫌悪感の問題の発生により別れた。

その後、兄や父の悪夢で、急にガバッと起き上がって激しい動悸に襲われるようになった。あれが嫌なものだった、ということに身体が気づいたようだった。

その頃から急激な寂しがりやで依存的になり、常に男を求めた。きっと男はマスターベーションの道具だった。暖かさをひたすら求めていた。純愛は断られても、寝るだけなら大抵望めばできた。理性的な男性の理性をひっくり返す瞬間が好きだった。それでも途中でフラッシュバックが出た。兄だかその人だかわからなくなって混乱した。私の急激に固まった身体に異常を感じ、やめてくれない人はいなかった。優しい人にしか私が近付くことができなかったことは、幸運といえるだろう。恐怖心は私を守ってくれていた。私は、東京で、九州男児を一括りにして遠ざけることで、恋愛のようなものを謳歌した。

私はNくんに私の家に来て欲しいと頼んだことがある。「そういうのは良くないと思う」。そんな言葉はすごく新鮮だった。私の性はなんの脈絡もなかった。

あばずれになった女は、なかなか決まった相手に恵まれず、そのうち自分でも、誰の子を身籠るかわからない状態になっていった。

自制のために、大学3年生から、兄と同居した。私が寝たふりをしていた間に起こった穢れた性のやりとりは、そのとき既に現実世界と大きく乖離していた。嫌ではあった。それでも寂しさの衝動には替えられなかった。

兄は、私のいる前で堂々とアダルトビデオ動画をダウンロードしていた。私が外から帰ってきたときも音を出して観ていた。不愉快だったから、「やめてよ」と言った。

私が自室で寝ているときに、私が寝ているかどうかを伺うために、キイッとドアが音を立てた。私がものすごい勢いでがばっと起き上がると、またキィッと音を立てて、ドアは閉まった。私は一人ベッドで静かに、戦慄と気持ち悪さに震えていた。
すごい勢いで起きることのほかに、私には意思表示の方法がなかった。

兄に子どもが産まれてからというもの、私は寝ることが出来なくなった。これまで、あのことを現実と切り離すことで私は自分を保ってきた。切り離すことができない今、私の世界は…。

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どんなに隠し続けても、隠し続けるほどに傷ついていくだけだ。実ははじめからスポットライトに常に当てられている。自由な妄想のほかの、人と関わった現実は、すべてスポットライトの下に。スポットライトに気づかない人が、人の道に悖(もと)るようなことをしてしまうのだろう。お月様は見てるよ。それはあなた自身の良心だ。

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