「名前は、ついていることが大切だ」
まえおき
どうも、さぼてんさんです。
じゃぱねっとに居座ってからはや4ヶ月。すっかり実家にいるような顔をしています。暖かく見守っていただいている皆々様におかれては本当にありがとう。
さて。
アドカレ第二幕ということで、前回ごはんをたべていたら無事募集にあぶれたさぼてんさんにも、怪文書を放擲する権利が与えられました。
というわけで行くぜ怪文書、その名も「お名前」特集だ。
「名前は、ついていることが大切だ」
手始めに、タイトルをもう一回唱えてみましたよ。
これは言わずとしれたド名作映画「シン・ゴジラ」劇中、大河内総理の台詞なわけだけれども、このエントリ? トピック? まぁいいやこの投稿はシン・ゴジラふりかえりでは別にない。
「なんか、名前って、滾るじゃん」
というどうしようもなく狭い狭いツボを開陳するだけのお話です。
「名前萌え」具体例
まずは具体例をブッコんでみるとしましょう。
記号としての名前
え、それはお前がミリヲタだから感じ入るところがあるだけだろうって?
じゃあ、誰か推し歌手のライブセトリをイメージしてもらうと伝わるかもしれない。
別にフネの説明も写真もだしてない。ライブセトリだったら、べつにリンクを踏むとイントロが流れてくるような構造になんてなってない。それでも頭の中で鮮やかにイメージを起こして、感じ入ることができるタイプの名前ってあるじゃないですか。
客体の形質を説明しているわけではなく、単に客体と1対1対応する記号に過ぎない。そういう名前の類型ですね。解釈はいろいろあるけれど、さぼてんさんとしては人名もこの類型です。
で、これをもっとこじらせると、こうなる。
型式番号
もちろん命名則はあるんですけど、もう此処まで来ると抽象化の度合いが甚だしくて、原型のイメージなんていっこもないですよね。それでも萌えるんだよなぁふしぎだなぁ。
尚甚だ余談としましては、さぼてんさんはこの手の「無機質な形式番号の後ろに引っ付いている公式愛称」が最高に好きでございます。
GAT-X105『ストライク』とか、F-22A『ラプター』とか。
更に発展して、その業界の中でだけ呼ばれている非公式愛称は格別の味わいでございます。A-10C『サンダーボルトII』愛称『ワートホグ』とか。
もう「みんなわかってくれよ」なんて云う気はないよ。わかってくれる人だけわかってくれたらいいよ。
説明としての名前
料理の名前というのは往々にしてその名前じたいに「なにを、どのように料理したもの」という含意がなされているから、一読しただけで口の中に味が広がるような気がしませんか。
たぶん化学や薬学のともがらに「二酸化マンガン」とか「メチルホスホン酸イソプロピルフルオリダート」とか言うと、化学式から分子構造からふんわりイメージされてくると思うんですよ。これも似たような話だと思ってます。
物事の素性を説明するタイプの名前もまた大変に栄養豊富なものです。
隠語としての名前
何をどうして伏せる必要があるのかとんと知りませんが、特定の政府機関をして地名で呼ぶ文化、あるじゃないですか。
あれねぇ、いいですよねぇ。
また派生的に、もう隠語じゃ全然ないんですけど、当該の地域にある組織を指して「詳細は朝霞で立案します(シン・ゴジラ)」とか「百里204よりウィザード03、小松303よりプリースト21(劇場版パトレイバー2)」とか言われた日には萌え上がっちゃって大変です。
このへんはもう「名前萌え」と「システム萌え」の複合疾患なのでたいへんです。あーあ。
二つ名
オタクの一番好きなやつゥーー↑!
本当に「かっこよくしようと思ってつけた」二つ名は当然おいしいです。言うまでもない。
『レッド・バロン』リヒトホーフェンとかね。
一方で、「それ本当に褒めてる?」みたいな二つ名もそれはそれでいとをかし。ドイツはブンデスリーガで活躍した日本人選手がだいたい襲名させられる『スシボンバー』とか。
あるいは稀に発生する、既存のビッグネームを擦ってちょっとおもしろくする二つ名には最高の栄養がありますね。
飛行機恐怖症で絶対空路じゃ移動しなかった『アンフライング・ダッチマン』デニス・ベルカンプとか。これは伝承の「さまよえるオランダ人(フライング・ダッチマン)」にかけて命名されたヨハン・クライフの『空飛ぶオランダ人』をさらに擦った命名なわけですね。
組織名
これも上でちょろっと申し上げた「名前萌え」と「システム萌え」の二重苦(二重喜? 二重萌?)にやられているやつです。
実際のさぼてんさんは社会不適合もいいところなのですが、それはそれでおいといて、こういう「タスクをこなす集団」って好きなんですよねぇ。個人名・個体名では摂取できない栄養が含まれています。
総論
短く言うと
「お名前」ってやつは人ぞれぞれの「ぶち上がりポイント」「萌えどころ」に最短ルートで直結する隠し通路の鍵である! 字面通りの音の羅列以上の意味がある!
というあたりでめんどくさいオタク論法にあんまり興味のない方はお疲れ様でした。お付き合いありがとうございました。
長く言うと
考えるに「お名前」というものは、連綿たる人類史の随所につけられたタグなのだと思います。言い換えればハイパーリンクです。
名前なるものは、実存としては数文字の文字列にすぎませんが、それが人類の知恵のどこを参照しろという意味を含むことによって、膨大な意味や関連項目やイメージを包含した圧縮メッセージの体裁をなしていると考えることができる、というのがさぼてんさんの仮説です。
それが故に、単純に列挙しただけでも萌える余地があるわけです。名前の羅列というのは、つまるところリンク集なのです。
人類はジーンの洗練ではなくミームの蓄積による進化によって、草原のサルから現代文明を築くまでの文明的成長を遂げてきたわけですが、なんだったらこの成長じたい、「物に名前をつけること」によって成し遂げられたんだろうな、とさえさぼてんさんは思っています。
ものに名前があることによって、実際にそれが存在しなくても、その対象物のことを考えることができるようになります。抽象的思考の対象になります。
そうやって頭の中でものごとをこねくりまわすことが可能になったとき、「実際にやってみる」域を超えた高度な、あるいは困難な事柄が実践の対象になったと思うのです――というのはいささか脱線と牽強付会が過ぎますかね。こんなもんにしときましょう。
まぁそういうわけでまとめに入ると、
・「名前」は、人類知に対するリンク集
・せいぜいが十数文字の文字列ながら、リンク先の膨大な情報を内包する
・承前、膨大な情報を摂取して解釈し想像を遊ばせることができる
・それって萌えじゃね
といったところです。
3300文字もお付き合いを頂き、ありがとうございました。
さぼてんさんはこういうめんどくさいことを考えるのが好きな生き物なので、まだ「たまにはかまってやろう」という心的余裕をお持ちでしたら、何卒よろしくお願い申し上げます。
メリークリスマス。ハッピーホリデイズ。そして、良いお年を。
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