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妻が妊娠しました 2024/3/11 

 こんにちは。さぶなっくです。

 タイトルがすべてではあるのですが、妻が妊娠しました。

 しましたというか、しています。この前の健診で妊娠16週を超え、安定期に入ったので、noteにおいても報告することにしました。

 日記に書きたいことはたくさんあったのですが、流産の可能性が比較的高い初期に記録を残してしまうと、万が一のことがあった際は読んだ人にもショックを与えてしまうと思い、自重していました。

 今後しばらくは、過去に書き溜めてきた日記を加筆修正して、現在の日記と並行して書いていくことになります。よろしくお願いいたします。

 サブタイトルの部分は、俺が男である以上は「妊婦日記」「妊娠日記」だとなんか変だし、「プレパパ」みたいなカタカナ語もあまり好きじゃないのでこうなっています。もっとしっくりくる言葉がないものか。


 今回は妊活~妊娠判明まで。引用ブロックに書かれているのが過去の日記です。

2023/9/22
・妊活から4か月、まだ妊娠に至らず。前回は陽性判定が出たものの化学的流産(着床したが心拍が聞こえるようになるまでの流産)で終わってしまった。染色体異常が主な原因らしく、そもそも生まれることができない命だったのだと思う。

・特に精神的なショックはないが、母体の負担もゼロではなかろうし、妊活の再開にはしばらく間を空けることとした。産科の先生は、排卵機能の確認として2か月ほど空けてもいい(空けなくても不具合はない)とのこと。

・妊活を少し休むことには他にも意味がある。弊社の給与体系が来年4月から変わり、賞与が消滅する代わりに月収が大幅に増えることとなった。育児休業給付金は直前6か月の収入から算出される(賞与は含まない)ので、新しい給与体系に移行してからの方が給付金が多くもらえることになる。つまり、新体系下で6か月経過した9月~10月頃に育休に入るのが最も望ましい。

・さらに、育休中は就業期間に入らない=賞与が出ない期間となっていたたが、そもそも賞与が消滅するならその分もプラスとなる。

・これはかなり大きな差だ。社会保険料の控除も含めて、給付金だけで十分に生活が送れる計算になる。さすがに半年経過で減額されたら苦しくなってくると思うが、それでも1年間丸々休むことまで視野に入り得る。

・ついでに、現職の繁忙期は4月~8月くらいなので、そこを避けて育休に入れるというメリットもある。

・というわけで、妊活の焦点は11月~12月だ。がんばりましょう。

 いろいろあって、半年ほど妻と離れて暮らしていた。同居が始まったのは5月くらいで、そこから妊活を再開した。

 化学的流産は出血が多く、妻は非常に辛かったようだ。これが何回も続いていたら、(そもそも不妊治療が必要になってくるということもあるが、)断念していたかもしれない。

 元々は30歳のうちに妊娠できるかなくらいの計画だったのだけど、転居や転職でそれどころじゃない日々が始まってしまい、結局32歳での初妊娠ということになった(俺と妻は同い年)。

2023/12/27
・12月中旬に来るはずの生理が来なかったので、日曜(12/24)に検査薬を使用したら陽性反応が出た。前回のこともあるのでまだ喜べないが、産婦人科の予約を取った。明日の午前中に診察だ。タイミング的に胎児の心拍が確認できるかどうかわからないが、もし確認できたら年明けに市役所へ行く必要がある。

・前回と違って妻の体調に変化がある。特に胸の張りが強いらしい。正常な妊娠の兆候か?と思ったが、「単純に妊娠するたびに違う症状が出るのだ」と妻に諭された。それもそうか。

・妊活について。もちろんお互いの合意ではあるのだが、子供を持つことに対しての熱意は差がある。俺8:妻2くらいの比率だ。俺が「やめとこうか」と言ったらすんなりそう決まると思う。そうやって俺が妻の人生を捻じ曲げていることに対しては、常にうっすらと罪悪感がある。結婚以来、異動や転職でずいぶん苦労をさせている。だから、俺はやれることをやるべきだ。無痛出産だろうが個室だろうが育休だろうが、妻が望むことは可能な限り叶えてやろうと思っている。限界はあるが。

・今回の妊娠でうまくいったら出産予定日は8月中下旬頃。出張ラッシュを終えてちょうどいい頃合いではあるが、果たして。

 クリスマス過ぎに妊娠がわかった。妊娠の可能性がある時期はアルコールを控えていたが、妻が腰を痛めてロキソニンなど鎮痛薬を頻繁に使っていたので、若干心配していた。


 以下、現在の日記。

 鳥山明さんが亡くなった。

 まだ若かったのでショックではあるのだが、感情的に落ち込んでいるというよりも、偉大な人物がいなくなって、歴史の転換点に立ち会っているような気分だ。

 ドラゴンボール。ちゃんとしたストーリーを知ったのは大人になってからだが、常にうっすらと好きだった作品だ。中学生の頃、原作をさして知らないのにPSPのソフトを買ったのを覚えている。

 今の30代以上の男性で、ドラゴンボールの影響を受けずに育つのはほとんど不可能だったと言ってもいいだろう。あまりにも巨大すぎて、もとは一人の人間が生み出したということが信じられないくらいだ。

 死後の世界とか転生とかを信じているわけじゃないが、その才能はどこかに残っていてほしいと強く思う。

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