金山だったラクテンチ (2016.07.25)



あちこちに金山の名残が

 あのラクテンチが、実は明治36年(1903)に木村久太郎という人が始めた金山だったと聞けば、多くの人が驚くだろう。

木村久太郎

 その理由の一つは、金山に限らないだろうが、鉱山は人里離れた山の奥に存在するというのが一般的なイメージ。それが別府のメーンストリート、流川通りを一直線にさかのぼった突き当たりにあるというのだから、何とも意外だ。

 とはいえ山のふもとには、金を掘った坑道あと(大きな岩で入口は封鎖されているが)があったり、山中には坑道が残っているという話もある。

ふもとにある坑道跡(岩で入口を塞いでいる)

 また、ラクテンチ下の朝見川や乙原川に、鉱山主の名前を付けた「木村橋」「木村小橋」が架かっているし、同じく朝見川に「金山歩道橋」もある。地図を見れば川沿いの道路が「金山町」だったり、住宅地の中には鉱石を積み上げた、風変わりな石塀も存在するなど、その痕跡はいたるところに存在する。


大正初めまでは採掘順調


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