鍵善良房へゆく
2018年12月、京都奈良の旅2日目。朝8時30分、ホテルを出発。天気は晴れ。日中最高気温は10度の予報だ。まだこの時間は気温が低いこともあり、吐く息は白い。スマホで目的地への経路を確認したら出発だ。冷たい風がないのが幸いである。余談だがアウトドアの趣味を持つと、気象の変化には敏感になるのだ。
この日、徒歩で目指すのは祇園四条。鴨川を経由することにした。京都独自の町並み、安心の全国チェーン店のレストランや店舗、続けてオフィスビルを抜けると、鴨川の看板が見えてくる。すぐに土手に降りる道を見つけ、ここから川沿いをのんびりと北上する。初めて歩いた鴨川は空が広く静かだった。ひともほとんどいない。近くで見かけたのはアオサギだけだ。
歩いてみると想定よりも早く祇園四条へ到着した。すぐさまこの日の本命である鍵善良房に直行したが、まだ時間が早いため、周辺の八坂神社と知恩院を歩くことにした。京都観光で注意するポイントのひとつが観光地の改修工事だ。八坂神社、知恩院の御影堂、清水寺にも行ったが、どこもタイミングが悪く改修工事が行われていた。(2018年12月当時)
知恩院の三門の大きさと迫力におどろく。しばらく上を見上げっぱなしだった。口も開いてかもしれないが、だれもそのことに気づかなかっただろう。理由は簡単だ。このとき三門には、わたししかいなかったのだ。まっこと贅沢な朝である。
鍵善良房
八坂神社、知恩院を周ったのち、再び鍵善良房(四条本店)へやってきた。時間を確認し暖簾をくぐる。扉を開いた先は、お菓子売り場だった。喫茶室はその奥だ。とても丁寧な店員に案内され席に着く。そこは落ち着いた和の内装に包まれ、優しい照明の光が降り注いでいた。
まわりを見渡すと、いかにも出張中のサラリーマンに見える一人客が多いことに気づく。耳を澄ますと、遠くの席からご年配のおじさまやおばさまのはしゃぐ声が聴こえてきた。どうやら、ここの名物であるくづきりに舌鼓をうち、その話題でもちきりのようだ。期待通りである。
わたしは先客に負けじと「くづきりをください」と、ゆっくりとそしてはっきりと伝えた。これは昨晩から何度となく練習してきた言葉だ。大事な場面なので噛まずに伝えたい。注文ののち一息して、温かいお茶と上品なお茶請けを味わう。そして心を落ち着かせ、待った。
注文後、すぐにその時は来た。はやる気持ちをおさえ器のフタを開ける。その器には氷水の中にくづきりが入っていた。このときの様子をニーチェで例えるならば「くづきりを覗くと、くづきりもまたわたしを覗いていた」のだ。もはや哲学である。
自分でもなにを言っているのかわからない。話を続けよう。
このくづきりは希少な奈良吉野の大宇陀産の吉野葛からつくられたものだ。箸でとり、もうひとつの器に注がれた沖縄産の黒蜜にくぐらせる。くづきりを丁寧かつ確実に黒蜜に絡ませるのがコツだ。ここまでくればあとは簡単。蜜がはねないように、ゆっくりと、静かに、慎重に口へ運ぶ。
そうして口に入れたその瞬間、いきなりクライマックスが始まる。なめらかなくづきりと、味わい深い黒蜜の甘さと香りが渾然一体となるのだ。時空を超越した大和と琉球のコラボレーション。これらが口中を一気に駆け巡る。
そのあとに続くフィナーレは、弾力のあるくづきりの歯ごたえと、とぅるんとぅるんの喉越しだ。わたしは宇宙の始まりを感じた。
ほんとうに美味しいものは、口に入れた途端に笑みが溢れる。これはだれもが経験していることだ。恥ずかしながら、わたしはあまりの美味しさに、声をだして笑ってしまった。そのとき偶然、店員と目が合う。その店員は優しく、そして誇らしげに頷いた。
このくづきりは鮮度が命だ。その賞味期限はたったの15分。注文をうけてから、つくりたてのものが出されるのだ。短い賞味期限ではあるが、ゆっくり味わっても10分もかからなかった。しかしその10分という時間においても、最初の一口と、最後の一口では確かに違いを感じるほどの繊細な和菓子である。
実は京都には2泊し、幾つかの有名な飲食店で食事をした。観光地特有である料理の味に反比例した割高な価格に遭遇することは、残念ながらいまや日本全国どの地域でも珍しくはなくなった。それよりも京都では横柄な店員率の高さにおどろき、幾度か嫌な思いをした。
そんな京都であっても鍵善良房は違う。暖簾をくぐり扉を開いたその瞬間から、ごちそうさまと外に出るまでの間、細かい気配りと居心地のよい時間を提供してくれた。その丁寧な接客に触れることができたのは旅の良い思い出だ。鍵善良房は「ほんとう」の名店なのだ。とくに、くづきりが好きなひとには、心からオススメしたい。それはきっと、いつまでも記憶に残る貴重な体験となるだろう。
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