「一生」という言葉

僕は一生という言葉に疑問を持っている。某アーティストが「一生そばにいる」的なことをうたっているのを見て首をかしげる。一生のお願いなんて言ってるやつを見たら孫の代まで呪うし、「一生分食べたわ~」なんて言うやつを見たらそれから毎日ストーキングして次何かしらの食事をしたときに乗り込んで後ろから首を絞めたいと思う。

なぜこんなことを思うか、答えは明白だ。これらは総じて嘘なのだ。仮に一生分食べたとしよう。それはその食事以降一度も食事をしないで死んだときに初めて、「あのとき一生分食べていたんだな」と実感できるもので、今の時点で一生分食べたと分かるわけがないのだ。アーティストの例だって同じだ。「一生そばにいる」なんて今断言できるわけがないのだ。どうせその後別れるのに「一生」なんて言葉を使ってしまう浅はかさに吐き気を催す嫌悪感を持っているのだ。(最初は疑問と言っていたのに書いてるうちにヒートアップしてきているのが見て取れる。恥ずかしい。)まぁ仮にそのパートナーと別れるということは今の自分ではなくなり生まれ変わるという意味で「一生」を使っているのならそれはロマンチックなのかもしれないが。

こんなことを女性の友人と喋ってるときにいうと「女子は言葉にしてほしいんだよ~」と、未だ女性経験がほとんどない僕をあざ笑うかのように言ってきた。「なるほど。女子って生き物は気持ちの伴った行動より嘘で固められた言葉の方がうれしいのね」と女性経験がほとんどない理由が浮き彫りになる返答をして空気を悪くしてしまった。反省はしたが俺は自分のこうゆう視点を気に入っているので一生続けていこうと思う。

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