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「ノマドランド」と多拠点生活

映画「ノマドランド」が、米アカデミー賞で6部門にノミネートされ、作品賞、監督賞、主演女優賞の3部門を受賞しました。

豊かさの再定義

この映画は、国内でノマドや多拠点生活をする方々向けにADDressというサービスを提供する者として、アメリカのノマドや車上生活者の文脈とは全然違うだけに、そこは絶望や孤独の世界なのか、気になって観に行きました。

日本でもコロナや経済的に厳しくなり、道の駅などで車上生活をされている方が少しずつ増えており、状況が違うとは言えない部分もあります。

けれども下記の記事のように、私たちのサービスを利用する方々は、希望にあふれ、多拠点生活を楽しみ、仕事の生産性も高く、とても幸せだと言ってくれます。

「ノマドランド」を観た人の感想は様々で、賛否も別れています。日本のノマドとはあまりにも違うので、悲壮感や辛さ、自分に家無し生活は無理だと言う人もいます。またAmazonの短期間の非正規雇用の是非や、リーマンショックなど構造的な社会システムに個人ではどうしようもない思いになる人もいて、あまり肯定的な感想を聞きません。

でも私は、彼女らの自由な生活や、アメリカの大自然に触れ合う喜び、定年退職後に夢をかなえようとして無念にも死んでしまった同僚の悔いを晴らすような生き方に、とても明るい希望を感じました。

ADDressの会員の方も「ノマドランド」を観て、感想をブログで紹介されています。彼女の感じたことに、私もとても共感しており、多拠点生活をしている人は近い感想を持つのではないかと思います。

一部を紹介させていただきます。
まずは、「豊かさの再定義」について。

物質的な豊かさに対する疑問、そして、豊か、美しい、幸せ、などの定義を問い直すということを、観る人に委ねるという作品となっていると思います。

そして、多拠点生活や無拠点生活をすることで、「物事の見方が変わる」ことについて。

ノマドになった主人公ファーンに対して、「物事の見え方が変わる」とある人が告げます。

物事の見え方が変わる、ということは体感として理解できました。やはり、日々違う景色を見て暮らすということは、決まった家に住み、同じ会社に通う生活とでは、見えるものが全然違うということです。

そして「物事が違って見える」体験は、ノマド的な生活をしたことがある多くの人は共感することができると思うのです。一方で、「違って見える」体験は多くの人に訪れる共通の感覚であるものの、実際に物事がどう見えるか、どのように感じるかは人によって違う、ということも、共感があると思います。

多拠点生活を止めない

私も全国各地、多拠点生活をしています。今も緊急事態宣言下ですが、長野県の白馬村から書いています。もちろん、それが仕事なので移動の自粛はサービスを止めることになってしまいます。それだけではなく、私を含めて多拠点生活をしている人にとって、ステイホームや一か所に留まる生活をすることは、息苦しく、むしろ辛い。一か所にずっととどまることで病んでしまうことすらあるのです。

私たちのサービスではもちろん、各物件でのコロナ対策や、イベントの中止もしますし、物件の一時停止や、利用できるベッド数や部屋数を抑えることもしています。休会制度も設けて、移動自粛をされる方も多数います。

私自身も会食の自粛、都市では人混みや密な場所、オフィスにすらできるだけ行かずに、自宅で過ごし、自炊生活をしています。その結果、多拠点生活をしている人が多数いるにも関わらず、いまだに物件内でのコロナ感染やクラスター発生もありません。

サービスを辞めること、自粛して休会すること、行動を制限しつつも継続すること、多拠点生活者にとって、その選択肢を提供し続ける判断を私たちはしています。

主人公ファーンは、家族に一緒に暮らそうと薦められても、車上生活をしていた仲間が定住し、一緒に暮らそうと誘われても、今の生活を選び続けました。彼女の孤独は、一人で移動生活することよりも、むしろ定住している人たちに、自分の生き方を理解してもらえないことではないか。私はそう思います。

彼女らに私たちのサービスが提供できれば、車上生活をしながらも、洗濯もできるし、温かいシャワーを浴びてお風呂も入れる。そして広いキッチンと、多拠点生活する仲間たち、さらに地域住人の方々との交流も得られるので、もっと豊かな生き方になるのでは?と思った次第です。

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