「床のゴミと炭酸水」

炭酸水を飲んでいる。ラベルレスペットボトルの。
朝からちびちび飲んでいるので温いし苦い。ウィスキーとかジュースの原液で割ったり、美味しくする方法なんていくらでもあるだろうけどそれすら面倒だ。

部屋にゴミが溜まっている。しょっちゅう捨て忘れるし、まとめておく気力すらない。

昔はコレクターだった。部屋を読んでもいない本で埋めていた。床も壁も。
きっと全体の3割くらいしか読んでいなかっただろう。ただおかげでゴミが溜まることは無かった。
しかし、「どうせゴミになるのにこんなに溜め込む意味が分からない」と常々言っていた彼女の堪忍袋の緒が切れ、ほとんどを捨てた。私が知るはずだった言葉や知識はたくさん燃えてしまった。別の言葉になったかもしれないが、私が知るすべはもうどこにもない。いつかどこかでまた会うのかもしれないな。


そんなわけで何もなくなったこの部屋は結局ゴミで溢れている。どこを見てもゴミ・ゴミ・ゴミ。
教養も知識も何もありゃしない。本で埋まっていた方がどれだけマシだったか。

ちなみに本を捨てた彼女が次に捨てたのは残った段ボールに鞄に収納ケース、そして僕だった。
彼女は自慢気だった。本がゴミになるわけないだろうと納得いかなかったが、実際本も収納も全部ゴミになったわけだ。何と言われたって返す言葉はない。「捨てたってゴミだらけになったじゃないか」とでも返すか。


温い炭酸水ももう直にゴミになる。こいつの成れの果てがいくつも床に落ちているので想像に難くない。ここまで不味いとゴミだといってもいいのかもしれないが、僕は普通に飲めるのでゴミではないようだ。
こいつと床のゴミを分けるのは何なんだろうか。床に落ちたゴミに残った水を飲まないのはもちろん、新鮮な炭酸水を注ぎなおしたとしても僕はそれを飲まないだろう。
でも手に持った不味い炭酸水を冷やせば、僕はそれを喜んで飲む。

床のゴミと炭酸水、この2つに大した違いは無い。
炭酸水をゴミに変えてしまった何かがどこかにあるはずだが、わからない。床のゴミは昨日まで間違いなく炭酸水だった。

そうか、時間か。1日かけて飲んだ炭酸水は温く、完全に気が抜けてしまってゴミ同然に不味い。そんな調子なのだから2日以上経った炭酸水がゴミにならないはずがない。

彼女が言っていた「いずれゴミになるのに」という言葉の意味が少し吞み込めた気がする。
確かに本だって一度読めばそうそう読み返さないし、読まないものはいつまで置いていたって読まない。中身の得られないものをいくら側に置いていたって床のペットボトルと変わりないな。

彼女が僕と過ごした時間は、かけがえのないものなんかではなくただのゴミを生み出したようだ。温く気の抜けた炭酸水は彼女にとってゴミだった。


どうでもよくなってきた。結局分かったのはゴミが溜まっているし片づけないといけないってことだ。とりあえず弁当殻でもまとめるか。

炭酸水を飲み干し、床に投げる。またゴミが増えた。

助けてください。