体験と廃刊と 2021-8-31

火曜日が終わった。いいことだ。
まだ水木金が残っている。悪いことだ。
疲れている資格ことがないので日記が短い。これも悪いことだ。


昨晩ふと思い立ち、居合の体験を申し込んだ。
昨年度末くらいの日記でも書いたが、近所に居合の道場がありずっと体験に行くか迷っていた。
しばらく土曜日が無為に終わっている現状を鑑み、今行かねばと決意したので申し込んだ。

早速今週土曜日から行く。楽しみだ。


労働。昨日と同じく過集中の合間合間にゴールデンカムイを読んだ。
今公開されている分は全部読んだ。すごいな....
裏切りに裏切りが重なりすぎて状況が全然わからない。前の話でいい人っぽい回想が始まったかと思ったらものすごい悪人なのがわかったり超絶悪人だったのにあっという間に改心してまた裏切ったり、関係図が全然つかめない。ただ面白い。あとちょっとで終わるらしいけど続きが気になる....


午後も労働。面談があるのをすっかり忘れておりすっぽかしそうになった。
幸い会議の開始通知が来たので無事に参加できた。
休日の話になったので、居合の体験申し込みをした話とかソフィーの世界を読んでいる話をした。
居合に興味があって哲学勉強している新人は過去にいなかったらしい。


画像1

夕食。家を出たときに地面がぬれていたので傘を持っていったら案の定帰りに雨が降っていたので事なきを得た。
こういう雨が降るかの判断が苦手なので少しでも怪しいときは傘を持っていくようにしている。忘れなければ。
折り畳み傘を常にカバンに入れておけばいいのだが、傘自体や傘のカバーをすぐになくしてしまうのでやめた。酷いときは傘を持ち始めたその日に無くしたことがあるし、私が持つ折り畳み傘が雨の日を10回迎えたことはない。


帰宅して即日記。今週はやけに疲れたし、なんとなく本を読みたい気分なので早くやることを済ませようとしている。


ネガマガを廃刊にしようかと少し考えている。理由は主に二つあって(この語調を使うときに理由が二つでなかったことは無い。不思議だ)、一つ目は投薬治療を始めて気分が落ち込むことが激減したことが一つ。
前から読んでいる人以外は知らないと思うが、このマガジンの存在意義は気分が沈んだ時や嫌なニュースを見たりしたときに文句や嘆きを書くためにある。ただ最近はそういうことを書く気分ではなくなっている。
明るい性格になったわけではないが、人に見せられないほどの嘆きが溢れ出すほどの根暗ではなくなった。
こういう精神系の薬の効果を実感するとき、人間は本当に曖昧な存在だなと思う。何万回も言われていることなのはわかるが、実際に体験するとやはり言わざるを得ない。
脳の分泌成分をちょちょいといじるだけで長年連れ添った尊大な劣等感や孤独が鳴りを潜め、受容できるようになってしまう。
居合の体験も薬を飲まなかったらきっと何かと理由をつけて行かなかった。
プラシーボ効果にすぎない可能性だってあるが、そうだとしても人間の曖昧さは変わらない。

この曖昧さは生き物としてではなく、人間が売りとしている知性や理性・魂なんかの話だ。生き物としては曖昧ではなくむしろ明確に機械的だろう。薬がはっきり効くんだし。


話を戻して、二つ目の理由。
これはそういった部分も含めて公開して差し支えないのではないかと思ったこと。ネガマガを始めてからちょっと閲覧が減っていることもある。もとから多くはなかったので気のせい程度ではあるが。
一個目の理由と絡んでくるが、元よりそんなに過激なことやプライベートのことを書くこともなかったし読み返して「なんでこれを隠してるんだろうか」という気持ちになることも多々ある。

また、そういう嫌なことについて小難しく考えているときの方が我ながらちょっといい文章になっているなと感じることが多いので、それを見てもらえないのは損だと思った。
表現規制とかについて特に過激でもない視点で書いている文章を隠すのはメリットよりデメリットの方が多そうだ。まして私のように対して影響力もない日記書き程度だと。


そういうわけで後々ネガマガは廃刊になるかもしれない。もともと購読者はゼロなので関係ないけれど。1円にならなくて拗ねたというのも理由に追加しておくか。
明日で日記を書きだしてからちょうど一年だしもう明日からやめようかな。
まぁその辺は明日決めます。おやすみなさい。

今日はここまで。

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