チャイラテを飲みながら

「ねえ、今ハイデルベルクにいるんだけどさ、」

無理を承知で、メッセージを送った。

約2年半前にドイツ留学時に出会った、同い年の女の子。物理を専攻するものの「あまりの面白くなさに辟易しちゃって」とフランス語に道を見出してほぼほぼネイティヴレベルまで語学力を磨き、一年間フランスに交換留学した挙句、授業がつまらないからと現地でのバイトに精を出して貯金をたんまり貯めるような、アウトゴーイングでマイペースな子。

そのお金を使って、卒業後は世界のあちこち、特にアジア地域を約半年かけて周り、日本・大阪にも遊びに来てくれた。お好み焼きをつつきながらいろんな話をして、盛り上がっておしゃべりが止まらず、申し訳なさそうな顔をした店員さんに店を追い出されたのがついこの前のようだ。

今はフランクフルトにいる、って言っていたし、そろそろ仕事探しも始めているはず。もし都合が合えば、今月中にでも、お互いの中間地点ででも合えたらいいな。そう思って、SNSのアプリを開いた。

フランクフルトとハイデルベルクでおよそ一時間半。車だと一時間。
ドイツの就活の仕組みは、日本のものと少し異なっている。卒業後にいろんな会社に書類を出し、面接等を得て、長期間のお試し雇用、いわゆるインターンを経たのちに採用される、というのがごく一般的(らしい)。


「もし時間があったら、また近いうちに会いたいなと思って。」

あまりそのアプリを使っていなかったのだろうか、返事は翌朝に来た。

『ねえ、嘘でしょう?私今ハイデルベルクにいるんだけど。今日までここにいる予定だったの。』

偶然ってあるよなあ、いやあ、すごいもんだ。普段は違う街で暮らしている友達が、その前の日の夜に旧友の誕生日パーティーに参加していた関係で、予定がない状態で同じ街にいるという。すぐさま、3時間後に会う約束をした。

『本当にいるじゃーん!信じらんない!』

爆笑しながら、待ち合わせ場所でハグをして、顔を見合わせて、また笑った。数ヶ月ぶりの再会は、あまりにもスピーディーであっけなくて、感動もへったくれもなかった。でも、お互いにとても嬉しいと思っていることは、なんとなくわかっていたんじゃないかと思う。

私と出会ったあとの旅の話、現在の状況、進路について、2年前の思い出話…。街の中心にほど近い、彼女おすすめのカフェでケーキを分け合いながら話をした。

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私は、女子のおしゃべりの内容に、国や文化による違いはないと確信している。

最近何が楽しかった、このまえ誰がどんなこと言ってた、そういえばあそこに行った、最後のほうにちょこっと将来の話だったり恋愛事情が入ってきて、また盛り上がって。古今東西、言語は違えどトピックや大まかな流れは同じである。

もう物理をやらなくていいから本当に嬉しくて、と笑う彼女は金融・経済学の分野で働きたいと考え、いわゆるコンサルタントになるという。しかも、インターンが始まる前にすでにオファーをもらったというツワモノだった。ドイツみたいな、学んだことと仕事の内容がかなり直結しやすい文化の国で、理系のマスター(修士号)を持たない、全く別分野の仕事をする彼女は比較的レアなケースである。

『そうそう春先は白アスパラガスの売り子してたの。暇だし、オファー来るまでの間さ。いや、その野菜全然好きじゃないんだけどね、私。』

ドイツは春先になると、白アスパラガスを並べた小屋が町中に並ぶ。春といえば白アスパラガス、というほど人々にとって身近な存在。

『どうやって料理したらいいのか、とかどのアスパラがいいか、とか聞かれてもいやいや私わからない、食べないし、と思って。さすがにそうは言えなかったけどね(笑)』』

『いや〜やっぱ新卒で数年働いたらさ、マスター取りたいよね。MBAとかね、いいよね。シンガポールとかアジアの国で勉強するの、面白いと思うんだ。』

『建築家と一時期いい感じになった。え?いつ知り合ったか?アスパラ売ってたときだよ。』

進路の話を皮切りにはじまったここ数ヶ月の話は、予想外の連続だった。まさか世界旅行から帰ってきたあとに、アスパラ売りになってたなんて。


まっすぐに私の目を見ながら、自分の意見をはっきりと述べたり、変な出来事(たち)を嬉々として語る彼女を見ながら、こうして直接会えてよかったなあ、と思った。

いくらSNSが発達したって、その人の視線や表情、声音、相手の空気感といったものまでは、(まだ)伝わらない。伝えられない。そういった要素によって構成される「わたしとあなた」の時間は、時が経ってもすぐに思い出せる。

昔からの友達と、それも国が違う友達と、リアルで話をするということほど、楽しいことはそうそうない、というのはつくづく思うことだが、今日のような偶然に引き寄せられた日には、なんだか、とりわけそのときの相手の笑顔がはっきりと脳裏に焼きついている気がする。

結局、ケーキとチャイラテを彼女にご馳走になった。ありがとう、と言いながら、おみやげのベビースターとおにぎりせんべいの小袋を渡した。そういえば、二年前に帰国する時にくれた扇子、今も使ってるよ、と話す彼女。いちいち嬉しいことを言ってくれるなあ、と思った。


ふと、帰り道に通ったバス停の前で彼女が立ち止まった。

『ここで、一回あなたがバス待つのに合わせて、私も一緒に待ってさ、夜遅くに結構長い時間、話したことあったね。』

私も全く同じことを思い出してた、とは言わなかった。覚えててくれたんや、嬉しいわ。そうやって彼女の顔を見た。

それまでなんとなく二人きりになるタイミングがなかった彼女と、比較的長い時間を過ごしたあの日。雨が降っていて、薄暗くて、夜のにおいがした。

もう先に帰っていいよ、大丈夫だから、という私。バス、すぐに来るんでしょ、じゃあ待ってるよ、と笑った彼女。まだそこまで深い仲じゃなかったから、なんとなく緊張してドキドキして、くすぐったくて。でも、彼女の優しさが嬉しくて。

人と相対するなかで、相手にぐっと近づけたことを感じる瞬間、というのが少なくとも私にはある。彼女とのその「瞬間」は、出会って数ヶ月後の、あの雨のバス停だった。そしておそらく、そのことを彼女も、なんとなしに覚えていたのだ。


『じゃあ、またね。滞在中にもう一回会おうね。なんなら週末来て、家も泊まってくれていいから。』

あと、ドイツ語、上手くてびっくりした。久しぶりに会って、そのまま違和感なく話すもんだからさ。別れ際に、一言そう付け足して去る彼女に手を振りながら、良い子だなとしみじみ思った。外国語学習者は、その言語を話している最中に褒められるより、あとから思い出したかのように褒められるほうが何倍も嬉しかったりするのだ。

あの雨の日のバス停での時間がなければ、きっと今日みたいにチャイラテを飲みながら彼女の話を聴くこともなかったんだろうな。自転車を漕ぎながら、心の中でつぶやいた。

そう思うと、なんだかあの瞬間がひどく愛しいものに思えた。

いつもより少しだけ美味しいチョコレートを買って、あなたに感謝しながらそれを味わって、つらつら思いを書き連ねます。ありがとう。