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自然はお前らに話しかけたりしない

 
 こんにちは。自然派に親でも殺されたんかってぐらいいつも辛辣に批判しているsabatoraです。(絶縁し親を捨ててる私には当たらない比喩でしたね。ははは。ちなみに母親ならどうぞ。)

 「自然の声を聞く」「地球の声が聞こえた」

 この手の投稿を自然派の方がしてらっしゃるのを、インスタで拝見しましたのでいっちょ感想を述べたいと思います。ちなみに「わざわざ見に行くな」とか、「嫌なら見るな」というご意見には「なら世界中の人に公開すんな」でお返ししたいと思います。彼らが地球の声を聞いた!とインスタで主張する自由があるように、アホちゃうかとnoteでこき下ろす自由が私にもあります。

 インスタ内の自然の声聞いてる人の多さよ。インスタという緩やかに批判禁止が敷かれている国だと吐き出しやすいのですかね。リアルで言うと「今日はお薬飲んでないのかな?」って思われちゃいますもんね。

幻聴ぉぉぉーーーーー!


 自然派の方々は日々の移ろい、散歩で見つけた草花、その辺りから自然と一体化を感じ声を聞くんですね。分かりました。何て聞こえたかを明記されてないことが殆どなのが不思議ですが、彼らに寄り添って考えるならフィーリングというふんわりした感じで内容は筆舌に尽くし難いのでしょう。そんな彼ら送りたい言葉がー

板子(いたご)一枚下は地獄

 漁師、船乗りのことわざで、船底の一枚向こう、海は地獄。つまり死。彼らの職業が死と隣あわせで危険である様を表しています。自然と共に生きた彼らから出たことわざがこれ。この違いよ。自然って寄り添う寄り添わないとかそんなものじゃないと思うのですよ。人間に語りかけたりしないし、ただそこにあるだけ。自然とは怖いもので人間がどうこうできるものではないという価値観の中で育った私には、彼らの都合に合わせてミニマムに捉えられた自然に違和感を覚えるのです。
 
 そして何よりのその手の人たちは第一次産業を生業としない事が多いんですよ。フィーリングヨガだの、自然派ビジネス、移住者ビジネス、アウトドアビジネス。こんなのばっかり。大好きな自然と共に歩まんのかい。農業、林業、漁業やりなよ。大好きな自然とずっと一緒にいられるぜ。

 私も夫も第一次産業が盛んな町で育ち、それを生業とする父親の苦労を知っているからこそ、彼らの言うことが綺麗事にしか聞こえず素直に受け取れないのでしょうね。生きるために必死で自然と向き合い、感謝する時もあれば時には憎くて憎くてしょうがない。投げ出すという選択肢はそもそもない。生業だから。そんな人たちの横で「自然最高!」って BBQですか。楽しそうでいいですね。彼らが「自然の良さ」を語る度にそんな気持ちになるのです。彼らのいう自然と私が捉える自然が大きくかけ離れているのでしょうね。

 まぁこうも底意地まで悪く、ひねくれている私ですが、自分たちだけで勝手に何か感じて楽しんでる分には何も思わないのですよ。私も波の音を聞いて癒されたりしますからね。ただ、たまに現れる自然派ビジネスや自分たちだけが自然を理解しているとう思い上がりの自己陶酔投稿が嫌いなのです。でもまぁ彼らも本心で書いているわけじゃないのかもしれまんせんね。インスタでも何でも人と違うことしないと目立ちませんから。

生きていくって大変ね




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