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エッセイ「まっすぐに田を植うる祖母旅知らず」

ばあちゃんは、90歳。腰は曲がっているし、よく転けたりするけど、元気だ。

毎日、我が家で作った白米を大切に、大切に食べている。一口は小さいけれど、力強い。

「ばあちゃんは何でそんなに元気なの?」
僕が小さい頃、聞いたことがあった。

「昔は食べるものがなくて大変だったんだよ。けど、いまはこうして何でも食べちょる。いいもん食べて元気がなくなるわけないよ」
ばあちゃんは、全身で笑って、白米を食べていた。

ばあちゃんが白米を食べる時、いつも祈るように手を合わせて、食べる。僕は宗教には詳しくないが、その姿は宗教画のようで美しく、尊いもののように思えた。

爺ちゃんとばあちゃんは、毎日、田んぼか畑にいる。茶を飲みながら昔の話を聞くと、その習慣は小学生になる前からのものらしい。家族を手伝って田植えをし、草を抜き、稲刈りをする。自分の田んぼが終われば親戚や、近所の手伝いにいく。山を越えて隣村まで行って、数日間泊まりがけで稲刈りをしたこともあったそうだ。

ばあちゃんは、ずっと田んぼや畑の世話をして、旅行をしたことがない。日帰りで近くに行ったりはあっても、田んぼや畑が気掛かりで、長旅はしようとしない。

「わしはここがいい。ここにおるのが一番いい」

ばあちゃんはそう言いながら、大好きな日本地図を見つめて、「こんなところがあるんだなぁ。日本も広いなぁ」なんて言っている。

本当の気持ちは、孫の僕でも分からない。

僕の父で、ばあちゃんの一人息子が逝ったのは、4年前だった。
病気が分かってからは、たったの3年だった。父はずっと、爺ちゃんとばあちゃんに本当の病名を言わなかった。2人にはちょっと体調が悪くて入院するって言っただけだった。2人は心配そうに痩せていく息子を見守った。

父が亡くなって、葬式の前日。僕は父とばあちゃんと並んで、寝た。初めてだった。冷たくなった父の隣で、線香の火が消えないように、時々起きて確認していた。ばあちゃんは、悲しげに寝ていた。

僕のことを、父の名前で呼ぶようになったのは葬式から数日後のことだった。
「〇〇や、新聞取ってくれんか?」
「〇〇や、薬どこにやった?」

戸惑ったのは僕だけではない。母も、兄も、誰より爺ちゃんが寂しそうにした。
爺ちゃんは、ばあちゃんにゆっくり言いかせるように、
「これは孫の鮎太だぞ。名前を間違えるな」
と言った。

ばあちゃんは、間違えたことを恥ずかしそうにして、言った。
「そうだった、そうだった。ごめんね」
可愛い息子に言うみたいに優しい笑顔だった。

ばあちゃん、いいよ。僕は孫だけど、名前は父の名で呼んでくれてもいいんだ。僕は一人息子を先に失った親の気持ちは分からない。きっと僕の名を間違えてしまうくらい、どうってことはない。

父は夏が好きだった。釣りが好きで、よく鮎を釣ってきていた。ばあちゃんは畑仕事をしながらそれを楽しみにしていた。

今年は僕が釣りに行く。
任せてよ。僕だって、ばあちゃんの息子の息子。名前を間違えられるくらい顔もよく似てるんだから。

ばあちゃんと、今年も一緒に田植えをした。もう田植え暦は80年くらいだろうか。
ほとんどは機械で植えるけど、まだまだ機械では植えられないところもある。そこは、ばあちゃんが、手でまっすぐに植える。

ばあちゃんは、悲しみに飲まれても、人の名前を忘れてしまっても、まっすぐに稲を植えることは忘れない。旅を知らなくても、自然の豊かさを知っている。旅なんて、知らなくても、ばあちゃんの人生は豊かだ。

青空に鳥たちが舞っている。山々は青々と生い茂り、風に揺られて歌う。ひょっこり顔を出す動物たちは、田植えを見守る。

ばあちゃんは、まっすぐに田を植える。

この田んぼを見る度に、ばあちゃんを好きなる。

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題名は、俳句です。鶴亀杯というnoteで開かれた俳句大会にて、詠ませていただきました。
なんとそこで、「勝手につる賞」と「茉叶賞」をいただきました。感謝申し上げます。

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