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【短編小説】Detonator

「これじゃあ火薬が足りないよ」

 アーサーは目の前で覚束なくめらめらと燃える1本の細い枯れ木を見ながらそう言った。
 冬の乾燥した空気が炎を手伝っていたので、鎮火させるのは決して容易ではなさそうだったが、片田舎の河原に寂しくそびえ立つそれがただそこで燃え尽きていくことは、この小さな町において許容の範囲内の出来事でもあった。

「フィン。君は僕がバカになったと思うか」

 親友のアーサーが決して気が狂ってしまったわけではないことをフィンはよく知っていた。ビー玉を口に入れれば飲み込んでしまうような、物心もつかぬ頃から、二人はこの町で肩を並べて暮らしてきたからだ。
 初めて教師の家の壁に落書きをしたときも、初めて万引きをしたときも、初めてタバコを吸ったときも、二人はいつも揃って大人に叱られた。そしてそれらすべての行為を愚かだったと悔いて、人生や未来を見つめたときも同じだった。

 いつからか、アーサーは自分の賢さに気付いていた。それはフィンが9歳の誕生日のときに自分の家がとても裕福であることに気付くよりも少し早かった。
 アーサーはその賢さゆえに、13歳になるこの年の春に、進学を機に町を出る。アーサーは誰よりも勉強のできる子供だった。

「僕が町を出るのは、この町が嫌いだからじゃない。勉強ができたからだ」

 アーサーは足元の石を拾って、川に向かって水切りをした。薄い石が水面を跳ねて、10メートル先の対岸の岩にカツンとぶつかって落ちた。
 それを見たフィンは同じように、足元の石を拾って水切りをした。

「アーサー。君が苦しいのは、君が賢いからだよ」

 フィンの投げた石も、同じように対岸の岩に弾かれて川に落ちた。

「違うね。僕は苦しいんじゃないんだよ。若いんだ。僕は幼いだけだ」

 木はまだ燃えているが、すぐに真ん中でポッキリと折れてしまいそうだった。

「僕は勉強ができるからという理由だけで都会へ行く。君とも離れ離れになって。都会はさ、田舎を助けたりはしないだろう。僕はそこに染まりに行くんだ」

 アーサー曰く、アーサーの家庭は偽物だった。それは血の繋がりではなく愛情の繋がりのことを指していた。共働きの両親と一人っ子の三人家族、父も母も外に別の恋人を作って、日曜日だけ家族3人揃ってディナーをする。
 アーサーの知る限りでは、父は母を騙せているし、母は父を騙せていた。それぞれが子を騙せていないことに気付いてはいなかったが、アーサーはそれも深く理解していたし、理解してからは日曜日のディナーはまるで鉱物のような味がしていた。

「僕の親はさ、僕の成績が悪くても、叱ったりぶったりしないんだ」

 フィンは裕福で両親や兄弟から愛されて育った。フィンはアーサーのように成績優秀ではなかったが、生まれながらにして大きな財を受け継いでいく人生のレールに乗せられていた。
  それゆえにいつも退屈で、いつだって無条件で親に可愛がられ、子供らしい感情を表に出すことを許されず、朝は誰よりも早く学校に行き、常に人に優しくすることしかできない性格である自分のことがとても嫌いだった。

「ぶたれるよりずっとマシさ。僕はね、誕生日のケーキよりもクリスマスの七面鳥よりも、パパやママにぶたれたことばかり覚えているよ」
「でも君はこんなに優秀に育ったじゃないか。それだけで都会に出るんだ。僕なんかとは違う」
「その優秀さを、こうして爆弾を作ることに使っているんだよ、僕は」

 燃え盛っていた木は真ん中で折れた。フィンは用意していたバケツに水を汲んで、それを炭になりつつある枯れ木にかけながら、残った火を足で踏んで消した。

「君が満足するまで付き合うよ」

 フィンは楽しそうに笑顔を浮かべてそう言った。



 河原から見える花畑の向こうにある小奇麗な緑の一戸建てはアーサーの家だった。夕暮れが過ぎての子の帰宅にヒステリックな母が玄関で叱責をする光景は、この場所ではただの日常であった。
 アーサーはヒリヒリと痛む頬を抑えながら自室に行き、机に向かっては町の採掘場から盗んできた本を開いて読み耽た。そこから得られる知識と向き合うことと、学校帰りにフィンと遊ぶことだけが今のアーサーにとっての支えだった。

(今日の火薬の量では、もっと大きな爆発が起きるはずだった。火薬の湿気り具合を考慮しないと、思った通りの大きさの爆発はきっと起こせない……)

 本に夢中になってから幾許かの時間が過ぎると、母が階段の入り口から夕飯のためにアーサーを呼びつけた。それに機械的に反応してリビングに降りていったアーサーは、珍しく父が早い帰宅をしていることにそこでようやく気付いた。
 アーサーの父は、家族の前では父親らしかった。それはアーサーの母も同じで、アーサーすらも同じだった。この家族はいつだってそうして偽りに満ちていたので、アーサーの父は夕飯のシチューに手を付ける前に、父親らしく子供のことを心配するような話をし始めた。

「今日はフィンと河原で爆竹遊びをしていたんだな。木が燃えていたと、小さな噂になっていた」

(爆竹なんてもんじゃない、爆弾だ)
 アーサーはそう思ったが、子供を演じてただ「うん」とだけ返した。

「お前は将来のことを考えなさい。ずっと向こうの家柄で目を瞑ってきたけど、フィンとはもう遊ぶな」

 アーサーはこれまでの人生、ずっと何も言わずにただ子供を演じていたが、唯一その言葉だけには耐えられなかった。

「目を瞑ってくれてるのは向こうの方だよ。ごちそうさま」

 アーサーはシチューにほとんど手を付けず、スプーンをテーブルにたたきつけるように置き、父親のことも母親のことも一切無視して、自室に駆けていき鍵をかけた。
 アーサーはベッドで掛け布団にくるまり、真っ暗闇の中で泣きながら怒った。
 リビングでは父と母が大きな声で言い争いをし始めた。その声が耳に入ることがとても苦しかった。

(この家を吹き飛ばすんだ。必ず)

 どうにもならない幼さに、アーサーは酷く怒り、今日もまたただ疲れていた。



 明くる日、学校が休みともなれば、二人は呼び合わずとも朝から『いつもの』空き地で落ち合った。快晴が冬の寒さを紛らわせるいい天気だった。

「よくある映画みたいなものさ。僕たちの日常なんてものはさ」

 アーサーは知ったような口を利いた。

「僕がパパやママにされる酷いことも、それをされて落ち込むことも、布団にくるまって泣くことも、怒ることも、全部昔の映画で見たよ。"既知"だから、たいしたことはないんだ」

 アーサーが知ったような口を利くことにフィンはとても慣れていたし、アーサーが言うことがとてもよくわかったし、正しいとも思っていた。ただ空き地に座り込んで木の枝を折って投げているだけのこの瞬間でも、アーサーはいつも面白いことを言うと思い、それを楽しんでいた。

「アーサー。それなら”未知"は楽しいということかい?」
「そうとも限らないよ」

 アーサーはフィンの問いにすぐさまそう返し、続けた。

「"未知"は恐怖かもしれないし、すぐさま”既知”の退屈に変わるかもしれないし、ただ悲しいだけかもしれない。"未知"でさえあれば、その間はたいそうなことに思えるというだけでさ」
「退屈は嫌だな。それだけは僕も毎日思っているよ」

 アーサーは「そうだろ」と言わんばかりの顔をしたあと、持っていた木の枝を思い切り遠くに投げてから、無邪気で、かつ少し”ワル”そうに笑いながらこう言った。

「今日は完成品を作る」

 そうしてアーサーは大きなリュックサックからスケッチブックを取り出して、自分自身で一生懸命書いた『レシピ』と『プラン』をフィンに見せびらかした。『レシピ』の部分は少しフィンにはわかりづらかったが、それを書いたときのアーサーがきっと今のような表情をしていただろうということだけは、その筆跡でフィンに伝わっていた。

「すごいなぁ。これ、火薬の量は確かなの?」
「間違いないね。絶対大丈夫だ」
「多すぎたら流石に怖いね」
「フィン。僕はね、これで家を吹き飛ばすなんてたいそうなことを言ってるけど、跡形もなく消し去ろうとしてるんじゃないのさ」

 フィンはアーサーの言うそれが比喩表現であることをあまりわかっていなかったので、その言葉を聞いた瞬間に怪訝そうな表情を浮かべてしまった。

「僕がパパとママを殺そうとしてるわけじゃないってことはわかるよな?」
「それはもちろんだよ」
「パパとママは土曜日は夜まで帰ってこない。毎週だ。二人とも町の外に出て、恋人と愛し合っているから」

 フィンは木の枝で地面にニコニコマークを描きながらアーサーの話を聞いた。

「その間にね、たとえばリビングがまともでなくなっているくらいで良いんだ。建て直すのにはそれなりに時間がかかるくらいに壊れてくれていれば、それでいい」
「君の帰る場所がなくなるって、何度も僕は言うよ」
「もともとないんだよ、そんな場所はさ。パパとママが見栄を張るために、まともな人間であることを世の中に証明するためだけに、あの家があるんだよ。僕はそこにいるただの人形さ」

 フィンはニコニコマークをおおきなバツ印で消して、波線を描いたりした。キャラクターの絵を描こうと思ったが、頭に思い浮かんだものを上手く描けなかったのでやめたりもした。

「建て直すのに時間がかかるとわかったら、きっとパパとママは別れようとすると思う。守るものがもうないんだから。そうやって、家族を捨てる理由を渡してあげたいんだよ」
「うーん。君のパパとママはさ、君を守ろうとするんじゃないかな」
「それこそ”未知”さ。そして僕はまだ幼いから、それが現実として目の前につきつけられたとしても、”既知”にすることさえできないかもしれない」

 アーサーの言うことが時々難しすぎると思うフィンは、ある程度の時を経た未来の自分がそれを理解して深く頷いた経験から、綺麗にその言葉を胸の奥にしまっておくことがある。
 フィンにとってのアーサーへの信頼や友情の一部がそういったところから生まれているということは、フィン自身あまり自覚できていることではなかった。

「でもアーサー。これだけの量の火薬を一体どうやって用意するんだ。とてもじゃないけど僕らの小遣いでは用意できないだろう」
「盗むんだよ」
「はあ……とてもワクワクするね」
「悪いことさ、それは。でもね、僕たちはまだ幼いんだ」

 アーサーはフィンの隣に腰掛け、フィンが描こうとしても描けなかったキャラクターの絵をすらすらと描きながら言葉を連ねた。

「幼い僕たちが欲しいものを手に入れる手段は、『ねだる』か『与えられるか』か『拾うか』しかない。これが理不尽じゃないって、僕たち自身が受け入れてしまってること自体がとても理不尽なんだよ」

 フィンは地面に絵をかくのをやめて、アーサーのその言葉とこれから紡がれる言葉を胸の奥にしまう準備をした。

「大人にはね、『勝ち取る』という手段がある。自分の意思だけで行なえるんだ。なのに大人はさ、そうやって自分がただ大人だからという理由だけで与えられた手段が、僕たち子どもにもまるでそれがあるかのように言うことがあるだろう。僕たちは色んな物事を諦めて、ねだったり拾ったりしてるだけなのに」

 アーサーはキャラクターの絵をバツ印でつぶして、ネズミのような別のキャラクターの絵を描き始めた。

「僕たちは将来のために勉強したり、学校に行ったり、習い事をしたりするだろう。でもそれは、僕たちが何かを勝ち取ろうとしてやってることじゃない。大人がやることとはまるで違うんだ。それでもそうやって理由もわからずにやってることが、将来大人になってから何かを勝ち取りたくなった時に使えるんだよ。そんなのって理不尽だ。人形だ」
「僕はその言葉はとてもすごくよくわかるよ。僕は毎日、人形なんだ」

 フィンは、なんだかアーサーが自分のところまで下りてきてくれたような気がした。

「だからね、幼い僕たちには『ねだる』でも『与えられる』でも『拾う』でも『勝ち取る』でもない、ただ『悪い』というだけでその枠組みの外に出された『盗む』でしか、どうにも解決にならないことがある。何故なら自由がないから、そうすることでしか人形から人間になれないときがある。それが今だよ」

 アーサーがとても楽しそうだったことはフィンによく伝わった。そしてフィンは悪いことにこれから足を踏み入れるであろうという事実と、それに自然と高揚してしまっている自分がいる事実に、この日はとても冷静に向き合った。それはアーサーが描いたネズミのキャラクターの絵が、とても上手だったからだ。

「アーサー。約束してほしい」
「なんだい?」
「盗むのはこれきりだ」
「わかった。でもどうしてそんなことを」
「君はとても賢いから、きっと世界一の犯罪者になれてしまう」

 アーサーは声を出して大きく笑った。



 火薬を盗むなどということは、この治安の良い小さな町では大して難しい話ではなかった。加えてフィンの親は工場や採掘現場をいくつも経営しているビジネスマンで、少なくともその子供であるフィンでもいくらかの情報を手に入れることはできる。
 彼らが幼い子供であるゆえに、ねだるか与えられるか拾うかしかないと思われている存在であるがゆえに、その隙はいくらでも、どこからでも生まれるのだ。アーサーが知能の高い子供であるという事実がそれに拍車をかければ、朝から動いて昼すぎには終わる、たったそれだけの簡単な仕事だった。

「正直、拍子抜けしたよ」

 アーサーは嬉しそうにそう言った。かつて林の中に築いた『二人の拠点』は、程よい日陰と緑の香りで『仕事帰り』の二人を迎え入れていた。

「結局ほかの材料も全部揃っちゃったね。自分の親の文句を言うようだけど、管理が杜撰すぎる」
「助かるよ」

 二人は火薬の取り扱いにだけ気を付けながら、爆弾づくりの作業に勤しんだ。ついでに作業所で盗んできたコーラを飲みながら行なうそれは、冬の寒さをどこかに置き去りにしていた。

 フィンはこういった作業に関しては手先がとても器用だったので、アーサーの共同作業のパートナーとしては非常に優秀だった。二人は黙々と『レシピ』通りに作業を進めていたが、少々長い沈黙を破ったのは手際の良いフィンのほうだった。

「なあ、アーサー」

 フィンは唐突に、小さな声で親友を呼んだ。一方でアーサーはちょうど集中して回路を組んでいるところだったので、聞いてはいたが返事ができなかった。

「ベルが君のことを好きらしい」

 アーサーの手はさすがに止まってしまった。すぐに平静を装って元の作業に戻ろうとしたのだが、それはしているフリにしかならなかった。そのフリをするだけの作業に入ったので、アーサーは返事をすることができるようになった。

「ふーん。そうなんだ」
「そうなんだよ。どうするんだい?」
「どうするって、僕には関係ないよ。もうすぐこの町から出るんだし」
「でも僕は、ベルのことが好きなんだ」

 アーサーはその『中身のない作業』を行う手すら動かすことができなくなり、ぽかんと口を開けてフィンの顔を間抜けに見つめてしまった。

「僕はベルのことが好きだ。でもね、ルーシーのこともエリーのことも好きだ。あとアリスのことも」
「……ろくでなしだ」

 フィンが小さく震えながら笑うと、アーサーはそれにつられて震え始めて、共鳴した震えが大きな笑い声に変わってその場を包んでいった。



 決行は一か月後。アーサーの描いた『プラン』は完璧に進んでいる。
 土曜日の昼下がりの誰もいない小奇麗な緑の家の1階。そこに修復が困難になる程度に大きな穴を空けることができる程度の爆弾は完成し、それは二人の少年だけが知っている安全な場所に隠されていた。

 アーサーもフィンも『人形を演じること』に関してはそれなりの腕があったので、そわそわしたり、秘密を他言したりすることもなく日々を過ごすことができた。
 アーサーにとっては学校でベルとすれ違う時だけが非日常に変わってしまったが、それはアーサー自身が少し先の未来だけを見るようにしたことで、少し無理矢理に視界から外れていった。

 アーサーはいつも通り、学校が終われば日が暮れるまでフィンと遊び、夕暮れどきには母親にぶたれて、夜には時折部屋まで響いてくる父と母の怒声を聞き、泣き、怒り、怯え、土曜日には両親の不貞に苛立ち、日曜日のディナーでは鉱物を食べて過ごした。

 フィンもいつも通り、誰よりも早く学校に行き、上手くいかないテストの点数に落ち込み、それでも決して叱らない両親に苛立ち、それに苛立つ自分に苛立ち、学校では色んな女の子のことが好きで、兄弟にも友人にも優しく流されて、陽気で、アーサーの小難しい話を空き地で楽しんで、何時に帰っても怒られない家に帰る日々を送っては、高価な夕飯を食べて過ごした。

 そうしていつも通り過ぎていく日常が、アーサーを酷く油断させていたことは間違いなかった。


 母の不在があって父に殴られて過ごした晩の翌朝、アーサーは酷い目覚めの悪さで洗面所へ向かった。顔を洗いながら昨晩父に殴られた肩を鏡に映すと、すでに青くなっていることがわかって溜息が出た。
 同時に、もうすぐこの家がなくなるという高揚とも興奮とも違う複雑な喜びをかみしめながら、リビングに顔を出すこともなく、何も入っていない鞄を掴みながら家を飛び出して学校に向かった。

 アーサーがこの日の異変に気付いたのは通学路の時点だった。この小さな町が、何やらざわざわとしている気がしたのだ。かといって、そこにいる大人たちに捕まって遅刻するのも嫌だと思ったアーサーは、とにかくフィンやクラスメイトの顔を見て安心したい気持ちからその足取りを早めた。

 しかしながらその異質な『ざわめき』は、学校に着いたとてまるで変わらなかった。むしろそれが増しているように感じたのはアーサーの気のせいではなかった。片田舎の町を丸ごと包んでいるこの『ざわめき』が、アーサー自身の胸の中のものに変わったのは、普段の日常であれば絶対にありえない一つの事実を認識した瞬間だった。

 フィンがまだ来ていない。

 常識で考えればただの風邪か何かだが、アーサーはとても賢く、この町で育ってきた子供だったので、それがこの日の異変と結びついていることをすぐに察してしまった。はじめは疑惑だったが、少しだけ聞き耳を立てるだけで、それが確信に変わるのに必要な時間を紙1枚の厚さほどにした。アーサーはすぐにそこで輪になってざわついているクラスメイトたちに声をかけた。

「何が起きたか、教えてくれないか?」

 単純に野次馬のテンションでざわついていたそれを正面から割ったアーサーの一言に、クラスは一瞬で静まり返った。その数秒の静寂を割いたのはベルだった。

「フィンがね。今朝早く、爆弾事故に巻き込まれたみたいなの」

ーーーー【フィン。君は僕がバカになったと思うか】

「意識不明の重体で、命が助かるかもわからないって」

 この日、アーサーは生まれて初めて自分の愚かさを恥じた。


 アーサーが人一倍賢い子供でなくても、どこの病院にフィンが運び込まれたかなんてことはすぐにわかった。この小さな町には大きな病院はたった1つしかない。
 クラスメイトから事故のことをある程度だけ聞き、何も入っていない鞄をロッカーにしまったまま、アーサーは学校を抜け出して急いで病院へと走っていた。

(ーー全部僕のせいだ)

 アーサーは理解していた。ただの爆弾事故などではない。たとえばそれが爆発物を運んでいる何かとの接触であったり、不発弾や地雷によるものだったり、採掘現場で業務上起きたものであればそれは『事故』だ。
 ただ、今回はそれと違うと分かる。この町でそんなことが起きたなんて、未だかつて聞いたことがない。フィンは2人で作った爆弾を、理由はわからないが誤って爆発させてしまったのだ。家を半壊させられるように火薬の量を調整したあの爆弾をだ。

 そしてその理由がわからないなんてことは今のアーサーにとっては些細なことだった。フィンが無事かどうか、ただそれだけを自分の目で見て確かめたかった。

 アーサーは病院にあっという間に着いた。息が上がって体は苦しかったが、それに気付くこともなく病院の中に入って、一番近くにいた看護師を呼び止めた。

「今朝、爆発に巻き込まれたウィリアムズという少年は……! どこですか? 無事ですか……?」

 看護師はすぐに状況を把握した。目の前の少年の真っ赤な瞳と肩で息をする姿を見ればそれは明らかだったからだ。

「命に別状はないのよ。今は意識がないけど、集中治療室にいるわ。部屋には入れないけど……」

 噂には尾ひれがつきものだった。しかし、アーサーには看護師の言葉に安堵する感情も暇もなかったので、話を最後まで聞かずに言葉を連ねてまくしたてた。

「どこですか! 案内してください……!」

 看護師は冷静にアーサーの感情を全て汲み取って、ゆっくりと言葉でその要望に応えた。

 アーサーは急いで病院の階段を駆け上がり、すれ違う医師や看護師に注意されながらもそれをすべて無視して走ってフィンのもとへ向かった。
 そしてフィンのいる部屋に入ることは叶わなかったが、その姿を目でとらえることができた。

 包帯でグルグル巻きにされてベッドに横たわる人間、人工呼吸器、透明なチューブ。それは昔の映画で見たような、アーサーにとっての"既知"であったが、それを見たアーサーに湧いてきた感情は"未知"そのものであった。胸が締め付けられ、その場に立って居られなくなるほどに苦しくなった。

 包帯の隙間からのぞかせていた皮膚が火傷まみれだった。アーサーは自分が犯した罪の重さを、その小さな体でこれ以上ないほどに感じてただひたすらに涙を流した。
 『僕は一体なんてことをしてしまったんだろう』『あそこにいるのは僕じゃなきゃいけないのに』『どうか何もかも元通りにしてください』。アーサーはひたすら神に祈った。

 しかし、アーサーがその場で祈り続けることは許されなかった。フィンの父親が、アーサーに気付いて部屋から出てきたのだ。
 フィンの父はゆったりとした足取りで、そのまだ真っ赤に腫らしている瞼や鼻を思わせない口ぶりで、アーサーの背中をさすりながら言った。

「真っ先に駆けつけてくれる友達が君であったことを、フィンはとても誇りに思うはずだよ」

 アーサーが大人のやさしさに触れたのはこれが初めてだったのかもしれない。罪悪感と後悔だけで張り裂けてしまった心が、本当に少しだけ、それで縫われたような気さえした。それが少し痛く感じたのは、きっと縫い針が刺さる痛みだった。

「私はね。職業柄、今回こんなことになってしまった原因を、爆弾の欠片からある程度は予測することができるんだ。でも、私はいずれ目を覚ますフィンと、アーサー。君たちが揃って説明してくれる日をただ待つことに決めている。フィンの優しさと、君の賢さを、信じることにしたんだ」

 アーサーは止まらない嗚咽の中、フィンの父の言葉を一字一句聞き逃すことはなかった。返事が一つもできないことが更に胸を締め付けたが、背中をさする手がそれを和らげていた。

「君はまだ幼い。幼すぎる。もちろんそれはフィンも同じだ。君たちは、まだ与えられて生きるしかない。そういう苦しさがある。その苦しさを大事に抱えて、家に帰りなさい。君には君の、幼い君だけの、やることがあるはずだ」

 フィンの父は無条件に、無償で、アーサーを慰めた。アーサーはその幼さゆえにただ与えられて、『大人のやさしさに悔しくなる』という経験を生まれて初めてして、呼吸が整うまで背中をさすられ続けたあと、重い足取りで病院を後にした。



 アーサーは何も考えられなかった。病院から出てとぼとぼと帰路につき、学校に鞄を置きっぱなしにしたまま、朝から自室のベッドに舞い戻っていた。

 冷たくなったその心身を暖かいベッドで『戻して』いるうちに、事故が早朝であれば現場はまだ混乱していることだろうということや、爆弾に関する経緯が明らかになれば自分もフィンも立派な犯罪者になってしまうだろうということや、学校では今なにが話されているのだろうということなど、頭を働かせて、少しだけなら何かを考えられるようにはなっていた。

 それでも、脳裏に焼き付いた『ベッドに横たわる痛々しい姿の親友』の映像と、親友をそれに追いやった自分がここにいるという罪悪感が物事を深く考えさせることを許さなかった。アーサーはただ泣くしかなかったのだ。

 夕方になり、晩になっても同じだった。一階から夕飯を告げる母の声が聞こえても、返事一つできずにベッドからも出られなかった。
 自室に押し入った母が半ば無理やりベッドからアーサーを引っ張り出して食卓に連れていく間も、アーサーは『らしくない子供のような様』で在り続けた。

「フィンのことは残念だった。悲しい気持ちはわかるわ」

 アーサーの母がそう言っても、アーサーはただうつむいていた。料理の並べられたテーブルについていても、フォークを握る素振りすら見せず、ただ母の話を右から左に流しながら、返事もせずにそこに座っているだけだった。
 しかし、そうしてただ絶望に打ちひしがれるアーサーでも、たった一つだけ、聞き捨てならない言葉があった。

「あなたには先があるから、町を出てからのことも考えないと」

 アーサーの原動力は怒りだった。それはこれまでのアーサーの人生においても同じだった。
 この状況で、親友の安否だけが気がかりの幼い息子に対して『先のこと』を考えろというのか。フィンにはもう先なんてないかもしれないのに。
 呆れた親、いや、呆れた大人、呆れた人間だ。もしも今晩のメニューがステーキであったならば、食卓に並べられたナイフを喉元に突き立てていたかもしれない、それほどまでに、アーサーにとって母のその言葉は許せないものだった。

 アーサーは動いた。食卓に並べられた料理を無心でかきこんだ。こんな人間から食事を与えられているなどと思ってはいけない。明日からでも一人で生きていけるようにならなければいけない。それは気持ちの問題なのだとアーサーは思った。今はまだ幼いことを恨みながら、怒りながら、静かに、与えられたふりをして生きるのだ。

 事実として子供ではあるが、子供のような有様で生きていたら、自分は何にも辿り着くことなく、与えられたものを勝ち取ったものだと錯覚して、人形のように、このような人間を有難がる傀儡に成り下がって生きなければならなくなる。子供だって、勝ち取って生きてやる。アーサーはそう考えれば考えるほど、怒りでその身を動かすことができた。

 アーサーは食事を終え、静かに母親をにらみつけながら静かにフォークをテーブルに置き、リビングを後にした。急いで階段を上って部屋に戻り、懐中電灯をリュックサックに詰めたあと、階段を滑るように下りて玄関でスニーカーを履いた。

 その様子を見ていた母親は当然のように大きな声を上げた。

「アーサー! どこへ行くの!」
「黙れ! この×××が!」

 自分の母親に、人形のままでは絶対に口にすることがなかったようなおぞましい言葉を吐き捨てて、アーサーは夜の闇に駆け出した。



 夜の帳が下りた静かな田舎町を小さな懐中電灯で照らしながら歩くアーサーの頭は、怒りに満ちた心とは裏腹に冷静さをはらんでいた。アーサーは物事を深く考えることができるようになっていた。

 フィンは何故、爆弾を動かしたのか?

 アーサーがまず考えたのはそれだった。何かの理由があってそうしたことは間違いないが、一体何が起きてそうなったのか?
 フィンが爆弾のことを誰かに他言して、処分するように命じられたのか? それはないだろう。アーサーにとってのフィンは誰かに秘密を喋るような人間ではなかったので、そう考えることはできなかった。

 色々なことを考えているうちに、アーサーは学校でクラスメイトから聞いていた爆発の現場に辿り着いた。二人が爆弾を隠した場所からはそう離れていない、ただの道の真ん中だった。
 爆弾を隠した位置から現在地への動線を考えると、その足がどこに向かおうとしていたのかを大体把握することができるとアーサーは考えた。もしもフィンがその爆弾を使って何かの目的を果たそうとしていたなら、その目的が掴めるかもしれないとも思った。

 しかしながら、この先には川しかないのだ。爆弾を持ってなくとも、歩いて渡れるような浅い川ではない。こんな場所を渡ってどこかに行こうものなら、爆弾は水に浸かってダメになってしまうだろう。
 そう考えた瞬間に、アーサーは理解した。フィンはそもそも爆弾をダメにしようとしていたのだと。この川に丸ごと投げ捨てて、その存在を無きものにしようとしたのだ。

 アーサーは誰よりも賢い子供だった。故に一つの可能性を見出しては、その心の怒りを少し鎮めることとなったのだ。そしてひとつ、その可能性が真実であるかもしれないと思う理由として、辻褄が合うことがあった。
 二人で何度か作った爆弾は、いつもアーサーが想像しているよりも小さな爆発しか起こせなかった。フィンは、もとよりこの『プラン』に乗り気なんかじゃなかったのだと、アーサーは推測した。

 (僕はいつも手先が器用なフィンに火薬を詰める作業を任せていた。そこでフィンが何かを誤魔化すなんてことは考えもしなかったけど、フィン自身が『プラン』に乗り気でなかった、或いは『プラン』を止めたかったのだとしたら、たいして大きく爆発しない結果に僕が飽きて見切りをつけるように誘導したかったのだとしたら)

 考えれば考えるほど、アーサーは自分の身勝手にフィンを巻き込んでしまった事実に再び心を締め付けられた。まるで二人で楽しんでやる『イタズラ』かのように思い込んでいたアーサーにとって、自分が親友の気持ち一つすら見えなくなっていたかもしれないという事実は苦しいものだった。

 アーサーはそうして苦しみながらも、何もかもが腑に落ちていた。

 (今朝起きた事故は、フィンが『プラン』を単純に阻止したくて、爆弾を川に投げ捨てるために持ち出して、その最中に衝撃などで誤爆してしまったんだ)

 アーサーにはそうとしか考えられなかったし、それは確かな事実だった。

「フィン。ごめんよ」

 母に対する怒りはもうどこかへ行ってしまい、アーサーはそう呟いてその場から歩き出した。



 アーサーがふらふらと歩いて辿り着いたのは、自分と親友が『拠点』と呼ぶ二人だけの秘密の場所だった。二人はここで、その爆弾を拵えた。
 アーサーは家に帰りたくなかったので行くあてもなくここに来たのだが、ここには基本的に何もない。親友と二人で来るからこそ意味がある特別な場所なのだ。

 しばらくうなだれていただけのアーサーだったが、ふと普段見かけない紙のようなものが視界に入っていることに気が付いた。木に画鋲で刺してあったそれを懐中電灯で照らしてみると、たしかにフィンの筆跡で文が書かれていたのだ。

 アーサーは急いでその紙をはぎ取り、手に持っている懐中電灯でしっかりと照らして読んだ。

『親愛なるアーサーへ。

 元気じゃないよな。僕は君のことを嫌ったりしていないが、君を裏切った。学校で顔を合わせても、僕には君と話す勇気がないと思う。

 この手紙を君が読む頃には、爆弾は僕によってすでに川の底だ。君の言う『プラン』は実現しない。君が進学するまでに、僕の手伝いなしで爆弾を作り直す時間はもうないからだ。このタイミングしかなかったんだ。

 そして僕が君を裏切ったのは、爆弾を川に投げ捨てたことだけじゃないって、頭の良い君ならもう察していることだと思う。

 僕は人生がつまらなかった。苦しかった。どう考えても恵まれた人生を用意されていたから、何が苦しかったかもわからなかった。でも、アーサー。誰よりも賢い君が使う言葉の数々に耳を傾け続けていたら、それが何かわかったような気がしたんだ。

 僕には、与えられたものしかなかった。君は言ったよね、子供は勝ち取ることを許されていないって。でも君は何においても1番を勝ち取っていた。僕はそれがとても羨ましかったし、親友として誇らしかった。だからどうしても、取り返しのつかない過ちだけは、犯してほしくなかった。

 一緒に爆弾を作ったこと自体は楽しかったんだ。それは本当さ。
 君を騙して偽物の爆弾を用意できないかとも考えたんだけど、それはさすがに僕の頭じゃ無理だった。それがこの結果だ。

 アーサー。君はきっとこの町の誇りになる。それどころか、君はきっとこの国でも有数のすごい人間になると僕は確信している。
 だから間違っても世界一の犯罪者になんかさせたくないし、その道を歩み始めそうになったら、今度は『君はバカになっている』とハッキリ言って、殴ってやる。それができなかった僕の幼さを、僕自身が許してしまったことをとても後悔している。

 ただ、僕は勝ち取ったよ。すべてを与えられて生きてるだけの幼い僕でも、君の『プラン』を阻止することで、親友である君の輝かしい未来を勝ち取った。やっとだ。こんな僕にもできることがあったんだよ。初めて誇らしい気持ちになっていることと思うよ。

 アーサー。君に選択を委ねる形にした僕のこのズルさを受け入れてくれ。絶交してくれてもいいし、声をかけてくれても、なんでもいいんだ。君がこの田舎を出て、都会に触れて、もっとすごい人間になっていくことだけは変わらないから、僕はそれでいいんだ。

 頑張れ!負けるな!勝ち取れ!
 もしも絶交されてしまったら言えないことを言っておいた。僕は文章が上手くないから、伝えたいこともまとまらなかったな。
 君がいなくなっても、君のことをこの田舎からずっと応援する。君という素晴らしい人間に親友と呼んでもらえたことを誇りに思いながら、ほしいものを勝ち取っていく。約束するよ。ありがとう。

 フィンより』



 再び、アーサーは己の愚かさを恥じた。深く恥じながら泣いた。懐中電灯を持つ手は震えてしまい、それが地面に落ちることも防げなかった。

 (賢さを鼻にかけて、いい気になって、親と上手くいかないだけの、よくある映画のようなくだらないストレスを、この世で最も不幸な人間のそれであるかのように振る舞って、悪いことをして、こんなにも僕を信じてくれている優しい君を、僕はその身勝手で地獄に突き落としたんだ)

 胸中の多くの後悔や罪悪感がその形をくっきりと浮かび上がらせたが、それよりも、フィンが何よりも誇れる親友であるということを、アーサーはその心に深く刻まずにいられなかった。
 アーサーは幼かった。幼いがゆえに、与えられた言葉を思い出した。

 『君には君の、幼い君だけの、やることがあるはずだ』

 アーサーは生まれて初めて、賢さではなく愚かさと幼さを受け入れて、涙を拭いて強く立ち上がった。




「ウィリアムズさん。フィン・ウィリアムズさん」

 病院の待合室で看護師が呼んだのは、首に火傷の跡のある青年だった。青年は元気な足取りで診察室に向かうと、そのドアを開けるなり向こうにいた医師に悪態をついた。

「お前はバカか。わざわざこんなクソ田舎に帰ってきやがって」

 悪態をつかれたその医師は、一目だけ患者の顔を見た後にすぐにカルテに視線を落とした。

「ブラウン先生と呼んでもらいたいね。それよりも君は社長なんだ。もう少し紳士的な振る舞いができないものかい」
「俺は怒ってるんだよ。いいか? もう一度よく考え直せよ」
「考え直すも何も、最初から決めてたことだ。僕はもう医者なんか辞める」

 医師はそう言いながらも、青年の首の火傷の跡を確かな腕を持つ医師としてまじまじと見た。

「聞いたことがねえ。お前ほどの奴が医者やめて何になるんだよ」
「うーん。そうだな。遊んで暮らせる金はあるし、イザベルとイチャイチャするだけの生活でもしようかな」
「国の損失だ!」

 ウィリアムズ社長は終始声を荒げていたが、対照的にブラウン医師は終始淡々と喋っていた。

「まあなんだ。悪かったな。でも、元々僕がこの仕事に就いた理由はわかってるだろ」
「大先生が小さいことを言うなよ。ここには何もないぞ」
「昔ほどじゃない。君が会社を大きくして、地域の発展に惜しみもなく投資をして、今やここは田舎と呼ぶにはちょっと栄えすぎている」

 古くから変わらずにあるこの病院の窓から見える景色は、たしかに25年前のものとは明らかに違っていた。

「誰かさんのおかげでな。確かに俺はここまで完璧に健康になったよ」
「だろう。だから早くその火傷の跡を治療させてくれ。君のためにこっちに赴任してきたんだぞ。あとそれだけなんだ」
「その素晴らしい腕を、他の患者さんたちにこれからも振るおうとは思わないのかよ」
「思わないんだよそれが。それは僕の勝ち取りたいものじゃない。で、火傷の跡の治療は」
「しないね。これは幼き頃の俺の勲章だ」
「バカなことを言うな」
「バカなことを言ってるのはどっちだ?」

 同席していた看護師が愛想笑いを続けるのには時間的な限界があった。
 二人はそうして、お互いの勝ち取りたいものを決して譲らなかった。

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