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私は口数が少ない

人からどう思われるかを気にしなくてもいいと思いながらも、ふとそれを気にしていることに気づく。

私は口数が少ない。
なので以前は、何を考えているかわからない奴だな、と親しみを込めてでも言われることがあった。
親しい上司にもそう思われているのだから、仕事上の関係だけの人にもそう思われているだろうと思っている。
ちなみに、今は年齢が年も年なので、そういう言い方をする人もいなくなった。

自分としては、別に普通に自然にしているだけで、しゃべっていないという感覚はない。
気がついたら話していないなと思うことはあるが、それでもただ普通にしているだけだ。
自分が話しかける時は、必要に感じた時か、あえて参加するように若干無理している。

無理してでも会話することがいいことなのだろうかと思っている。
そして、黙っていられるのは、そこが安心していられる環境だと自分が認識していることでもある。

だから家でも多分口数は少ないだろう。
雑談でも、妻と話したいことがあれば話すけれども、ずっと雑談ばかりしているというわけでもない。
ただそのせいで、子供への教育がおろそかになってしまったかもしれないという思いはある。

世の中は何かとコミュニケーションと言われる。
もうそれが必須でそれができない人は不要と思われているようかのようでもある。
今の若い人にも口数が少ない人はいるだろうから、それが生きづらい世の中と言われる一因でもあるのではなかろうか。

若い頃は、口数が少なくてダメな奴と思われるのがものすごく嫌で、ちょっと無理したり、虚勢を張ったりしていたこともあった。(今思えば)
ただある時から、もうそれも諦めた方が楽になるということに気付き、あまり話そうともしなくなった。

それでも、仕事ができないとは思われたくないので、頑張って人並みにはやってきたつもりだ。
だから、仕事がうまく行かないと、焦って相手に強く言ってしまうことが時々ある。
そして後からそのことをまた気にしてしまう。

自分の場合、むしろ、ちょっと仕事ができないくらいが等身大の自分だ。
だから、仕事を頑張っているのもちょっと無理しているのかもしれない。

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