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74年を経て

 恐らく日本のマスメディアで、上皇の89歳の誕生日を伝えることはあっても、極東国際軍事裁判の結果、戦時下に首相を務めた広田弘毅、東條英機らが処刑された日であることは伝えないだろう。「昭和」の皇太子15歳の誕生日に刑は執行された。

 2022年10月9日に初回放送されたEテレの新日曜美術館という番組で「朝倉摂がいた時代」の表題で放送されたプログラムを視聴していたら耳にしたと思ったが、昭和天皇が何か訳があって朝倉家を訪ねに来たことがあったようで、その際に家の中に靴を脱がずに入る慣習が皇室にはあって、そのことで揉めたといったことが語られていた様に思った。語っていたのが誰であったか、朝倉摂その人の生前のインタビューであったりしたかもしれないが、覚えていない。現在でも、モンゴルから訪日した首相夫妻が訪ねて対面して歓談する様子の天皇皇后は、室内で靴を履いていた。

 親から子に代替わりして、天皇位は受け継がれた。そして、118回の虚偽答弁を謝罪した故安倍晋三の会見から明日で2年となる。岸田内閣は原発の運営方針に、安全保障に関わる方針と立て続けに大きく転換した。「日本丸」の舵を切ったといったつもりなのだろうか。沖縄返還から50年を経ても、沖縄戦終結記念日として、6月23日を新たな祝日に定める決断はなかった。9月2日を降伏文書調印記念日として休日に定めることは戦後一貫してなかった。20世紀前半の戦争を経て、敗戦国として憲法に象徴天皇と戦争放棄を定め建設された国家に敗戦の記憶はすっかりと消え失せている様にさえ見えなくもない。専守防衛を無効にする可能性も匂わせる「反撃能力」が強調され、増大する防衛予算は現行世代の税収で賄う方針を現内閣は示した。

 中根千枝は日本社会は軟体動物的構造を持ち、権力中枢はコントロールセンターではなく、ヒトデの周口神経環の様に、体の各部からの反応をシステム全体の中の動的法則性の集合として受け持つ役割を果たすだけで、両者に共通性があることを指摘していたと思う。トランプ政権下で大統領が訪日した際、故安倍晋三がゴルフ外交でトランプとゴルフをするなかバンカーで転んで、立ち上がって米国大統領に駆け寄る姿があったけれど、正にそれが日本の首相の役割にほかならないのだろう。身体各部からの反応によって、あっちに転び、こちらにも転がる。日本列島に誕生した国家の政治指導力とはそうしたものに過ぎない。

 この意味では日本は合衆国の傀儡国家なのかもしれない。極東で日本が他国に占領される事態が起きれば、合衆国の立場も危うい。その様な緩衝材としての役割がこの列島にはあるのは確かなのだろう。ウクライナにも、恐らくその様な性格がある国家だろう。「緩衝国家」と呼ばれたりもするようだけれど、日本はそれですらなく緩衝"材"国家なのだと、伊勢崎賢治は揶揄していたことがあった。

 天皇皇后は、仙洞御所を訪ねて上皇の誕生を祝ったことが伝えられている。象徴天皇の継承は皇室の存続と共に成功した。吉田茂は戦時下に逮捕されたことが功を奏したのか、戦後、公職追放の咎を受けることがなかったようだ。吉田茂は新憲法の施行に内閣総理大臣として関与し、サンフランシスコ講和条約にも署名した。いわゆる日米安保条約にも…。現在の皇室には、その吉田茂の孫、曾孫に当る人々も含まれている。

 記している間に日付けが変わってしまった…。「明治」に近代化が目指された時代に創られた憲法において、天皇は主権者のとされた(1889.2.11)。それが1945年9月2日に東京湾上の戦艦ミズーリで降伏文書に重光葵が調印してから約14ヶ月後には象徴とされた。新憲法と教育基本法の下で「戦後昭和」は新たな歩みを始め、一つの戦争責任を果たすかのような戦犯の処刑が1948年12月23日に執行された。簡単に忘却されては困るこの国の歩みである。


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