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阿保の遠吠え

添付の写真は本人のTwitterから無断で借用いたしました。この点を田中秀臣さんにお詫びいたします。

2023.4.25、6:30配信の【ニュース裏表 田中秀臣】「暗殺良かった」島田氏発言が示す「日本型リベラル」の問題点 異なる価値観や政治的立場を徹底的に消し去る「キャンセルカルチャー」

以上の記事を読んで少し反論…にもならないと思うが、思うところを記しておきたい。作家島田雅彦の発言にしろ、参院議員の小西洋之の発言にしろ、いわばその本人の発言には違いないと思うが、受け取り様によっては「揚げ足取り」の様なマスメディアの言論に怒りを覚えるものがあり以下記しておく。

問題とされた島田雅彦の発言は以下のものだ。

ーこんなこと言うとまた顰蹙(ひんしゅく)買うかもしれないけど、今まで何ら一矢報いることができなかったリベラル市民として言えばね、まあせめて暗殺が成功して良かったなと。それしか言えない

この発言について田中秀臣は、次の様に指摘する。

ーこの「暗殺」は、安倍晋三元首相に対するものだ。

確かに、その指摘はあたっているのだろうし、批判を受けて島田本人も、次の様に弁明している。

ー軽率な発言により、大きな誤解を招いたことを反省し、今後、慎重な発言に努める

いわゆるインターネット上の炎上なるものを受けて煽っているのか、それとは別に信念として述べているのか。定かなことは阿呆の私にはわからないが田中は、島田の発言を安倍晋三元首相に対するものとして捉えて次の様に続ける。

ー本当にひどい話だ。テロを事実上、肯定しているととられても仕方がない。さらに「リベラル市民」として島田氏は発言している。リベラルとは、通常は言論の自由を基礎の一つとする個人の自由や多様性を重んじるものだ。だが、テロというのは、その個人やまた社会の自由を圧殺する動きである。本当のリベラル市民ならば、テロを事実上肯定するわけはない。

確かに、島田は「リベラル市民として言えばね」と、前置きして発言したようである。だから、「本当のリベラル市民ならば、テロを事実上肯定するわけはない」との指摘は確かにその通りだろう。的を射た批判であることは認めておこう。しかし、島田を擁護する訳ではないが、私のような阿保からすると、そこまでして、いわば本人も認める失言を取り上げ、「そもそもリベラル市民って何なん?無党派層の一種か⁉︎」とツッコミたくなるくらいのことを、さも「正論」みたいなことを述べられても、横山ホットブラザーズじゃないが、「お前は阿保か!」と、言いたくもなる。

2001.9.11北米で同時多発テロと呼ばれるものが起きた。何年前に聞いたかは忘れてしまったが、海のないアフリカのエチオピアから魚の養殖技術を学ぶために水産学部に留学しているというアフリカの青年に、暦の話を伺ったことがある。エチオピアでは固有の暦が使用され、1年が13ヶ月の暦が使用されることがあるということだった。公的に使用されているかどうかはわからないが、その暦は新年が9.11から始まるという話であった。2001.9.11その日はその様な価値観のもとでは21世紀が始まる最初の日に当たる。何故あの日に同時多発テロが起きたのか、エチオピアの青年は何らそれと関係はなかったが、私には腑に落ちた。偶然その日に起きたのではない…と。

北米で起きたあのテロ行為によって、犠牲になった人々は存在した。その後ブッシュjr政権によって、アフガニスタンへの軍事攻撃で、アルカイダと呼ばれる勢力への制裁が実施され、北米で起きた同時多発テロと何ら関係のなかった人々も巻き込まれて命を落とした。話しが逸れてしまったが、田中は彼自らが「日本型リベラル」と名づけているものについて言及し、欧米で社会問題となっている「キャンセルカルチャー」について触れて、次の様に言及する。

ー「正義」を振りかざす日本型リベラルが、左派やあるいはリベラルをも排除するのだ。

確かに、この田中の指摘については懸念されることもあるかもしれないし、大切な指摘も多少は含まれる可能性がある…とは思う。しかし、島田雅彦の失言に触れてここまで述べる識者と、それを大上段に発信するマスメディアの存在は、統一地方選挙で勢力を拡大したらしい維新勢力同様に不気味である。

歴史的捉えると、テロの起源はフランス革命の頃に遡ることができる。世界史をしっかり学ばなかったので私はそれをよく知らなかったが、実はテロの語源ないし起源は、「恐怖(Terror)のシステム、体制」にあるらしく、必ず出てくる名がロベス・ピエールなるフランス革命家の政治家であり、1792年以後仏史上初の「共和制」の導入による混乱や他国の侵略や国内の反乱を恐れて、政府が反対勢力を押さえ込むばかりではなく、懸念されることを抑え込む趣旨から、反政府的な言動をとった人間を問答無用に逮捕し、リンチや拷問によって痛めつけて仲間を白状させた後、ギロチンにかけて処刑するという残虐このうえない手法を本来は指していたのであって、捉え方によっては現在も、テロリズムの本質は寧ろこちらにある可能性を疑っておくことも大切なのではないかとさえ思う。ルイ16世やマリー・アントワネットはその犠牲になった仏貴族であったと捉えることも可能なのだろう。

産業革命の後、西欧列強による植民地支配が生じ、「世界の工場」と呼ばれた英国の様な国家も誕生じたが、ロシア革命はその後起こる。暴力も伴うテロ勢力が権力を握ることも起こるが、不思議とプーチン政権はそのものかもしれない。人の世は源氏物語ではないが、不思議なくらい変わらないものである。大分逸脱したが、田中は上述の記事を以下の様に締め括っている。

ーただ島田氏が日本型リベラルの問題を世間に明らかにした功績は認めないといけない。テロで社会を変えようとする動きに、われわれが断固立ち向かう機運になればいいと思う。

しかし、私はそれが多分に如何わしいと思う。昨年7月の参院選最中に起きた首相経験者の殺害事件、先日の統一地方選最中の首相の選挙応援時に起きた事件、それらの暴力を容認することはできない。然るべき、法に基づく社会的な制裁の必要性は認められて然るべきものがあるだろう。しかしながら、第二次安倍内閣誕生以降の自公政権の国政選挙における度重なる勝利の裏には、旧統一教会の関与が明らかにされてきており、2014年末の衆院解散後の衆院選の投票率は過去最低の記録も残した。民主主義の根幹がそもそも疑われる、票の格差の是正が課題とされる中で誕生した第二次安倍内閣は、その後地下鉄サリン事件の加害者らの死刑執行を断行し、本来のテロリズムを彷彿させる政権運営を厭わなかったとも受け止められる。死刑執行が間違いであったと述べたいのではなく、その対応に慎重さが欠けていたこと、権力者の驕りを一市民として批判しておきたい。

この様に記すと、「キャンセルカルチャー」だとか、その極北にあるテロを擁護するかの様に受け止められるかもしれないが、私が指摘したいのは、「積極的平和主義」を国連総会で勝手に唱え、その提唱者からも批判された内閣が長く続いた日本で、正に本来の積極的平和主義、つまり貧困や差別を解消する社会政策を実施することで、テロ行為の発症を未然に防ぐような政策を講じてこなかった自公政権の責任が、本来のアカデミズムによって批判されて問われることの必要性こそを識者は指摘すべきではないのだろうか…ということに過ぎない。

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