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踊る阿呆に見る阿保…。

 確か‥夏に報道されていたなぁ…と思い出した。調べて…と言ってもスマホを使ってググった程度だけれど、行方不明の女児が遺体となって発見されたニュースがあった。2016年8月の末のことだったようだ。長野県小谷村に帰省した親子があって、外出した母親の後を追って外に出た当時7歳の女の子が行方不明となり、数日後に遺体となって発見されたというものだった。印象深く、覚えていた…。それから7年が経過することになるようだ。

 もう40年以上前になるが、筆者が子どもの頃、同時期に同じ幼稚園に通園していた女の子が…おそらく肺炎に罹って結局亡くなったことがあった。ぼんやりとしか覚えてはいないが、あれも夏のことだったような気がする。扇風機が回り、蚊取り線香が焚かれ、多分線香も炊かれた集合住宅に、小さな棺が置かれて、その娘の母親が泣き崩れていた悲しい夏が、子どもの頃にあったことを思い出す。小学校に入学するかどうかくらいの時期で、年の頃も小谷村で亡くなった女の子と、それほど変わらない年であった気がするものの、記憶なので曖昧ではっきりしたことではない。生きていれば、彼女も50歳過ぎの中年女性にはなっていただろうか…。

 小谷村の7年前の不幸な出来事についても、繰り返しになるが、しばらく経つので調べるのに多少手こずった。生きていたなら、少女は中学生くらいに成長していただろうし、その喪失の大きさを想うと言葉が出てこない…。この夏は、小学校の夏休み初日の7月21日に、福岡の宮若市の犬鳴川で、3人の女子児童が亡くなった。事故を受けて、危険箇所に看板を設置する取り組みが新たに始まったりもしているようだが、残念ながら、日常生活の中に危険は潜んでいるし、それを保護者だけで見守ることが叶わない現実もある。地域のコミュニティなどに、安心して子どもを預けることのできる関係性や見守りの関係があれば、もう少し違ったのかもしれないが、異次元の子ども施策が政府によって叫ばれるものの、それが市民生活に届くものとして響いてはこないように思えるのは、それが経済的な手当ばかりに思えているからなのだろうか…。

 マイナンバーカードと保険証の統合化が図られ、その手続きに生じた齟齬について耳目が集まっているようだ。が、おそらくこの話題は「税と社会保障の一体改革」の延長として語られる性質のものだったと思う。その前段には、旧民主党と現在の与党の間で交わされた「三党合意」があったはずである。既に済んでしまったこととはいえ、法律に謳われることになったのも、どの様な政権が誕生しても、それを進めること、その財源を段階的な消費税の増税によって補うこと、それが10年前の政治が想定した約束であったからではなかっただろうか。

 それが安倍内閣の下で、国政選挙も挟んで2度も延期された上で、同じ内閣の下で増税が実施された。それは国政選挙で多数を獲得したとはいえ、当初の想定からは大きく外れた時点で、国民との間の約束を政治が守れなかったとの捉え方も可能ではあっただろう。しかも、当時の政府の首脳は、衆院調査局の報告として、国会で桜を見る会を巡る国会答弁に、118回の虚偽答弁をしていたことも明らかにされた。加えて、昨夏の参院選の最中には、その当事者であった故安倍晋三氏が選挙応援の最中に銃撃を受け落命することまで起きた。後の祭りにはなるが、安倍内閣は2016年7月の参院選で、与党が多数議席確保した段階で、当初の増税を予定通り実施できなかった責任をとって総辞職してもよかった…と、わたしは思う。しかし、その様な雰囲気が生じなかったのが現在の自公政権であった。また、有権者も国政選挙を通じてそれを結局容認してきてしまった。

 マイナンバー保険証の統合問題で、担当大臣の河野太郎が矢面に立たされているようだ。またその対応における彼の言動にはウンザリもさせられる。けれども、彼が比較的早く30代半ばで母親との死別を経験し、その後父親の肝臓移植手術の際、ドナーとして自らの臓器を提供したしたことを知っていると、言動に批判が集まるのは本人に責任があるとしても、単にこの問題の本質を担当大臣が理解できていない故に、事態に無難な対応ができていない様にも受け止められる。これは穿った見方かもしれない。それに担当大臣故が矢面に立たされるのは当然でもある。ただ、よく考えればそれは、担当大臣の責任が問われているということもあるけれど、岸田文雄内閣そのもの不備が問われているのである。更に言及するなら、その責任の一端は有権者のわたしにもある。

 2023年6月に、2024年秋を目処に現行保険証の廃止を打ち出し、現在もそれを岸田内閣が取り下げることはないものの、資格確認証という新たな選択肢を検討し始めた様だ。しかし、本来なら将来的な現行保険証の廃止を提示する段階で、それを否定する国民に向けた他の選択肢を用意しておくことが政府の仕事であったはずである。それを怠った主な責任を負うべきは、やはり、内閣総理大臣だろう。また、事態が混迷する前に、厚生労働大臣、総務大臣、そしてデジタル担当大臣等が、来年秋の現行保険証には無理がある旨の観点で、閣議において総理大臣に異議を唱えてもよかった。しかし、それが起こらないのが岸田文雄内閣なのだろう。その体質は安倍内閣から継続しているものなのかもしれない。

 マイナンバー制度の導入前に、小渕内閣の下で法案が成立して住基ネットワークシステムの構築が図られてきた。その際にも異議が唱えられて民事裁判も行われてきた。2006年11月には大阪高裁で、それについての違憲判決も出された。その後、最高裁が2008年3月にそれを合憲としたため、大阪高裁判決は司法判断としては意味ないものとなったようだ。が、そこで示された違憲判決は、当時の住基ネットワークシステムそのものが違憲性を持ったものとして、司法が判断したという趣旨の違憲判決では決してなかった。住基ネットワークシステムとマイナンバー制度には、厳密には違いがあるだろうし、丁寧に見ると2006年11月の大阪高裁判決を、現在のマイナンバー制度に当てはめることには無理があるのも間違いはないだろう。

 しかしながら、それでもそこには、…最高裁がその大阪高裁判決を合憲としていなかったならばとの仮定が必要にはなるが…マイナンバー制度が持つ違憲性の可能性が示唆されていたと思う。先の大阪高裁判決は、その判決文の大半で住基ネットネットワークシステムの運営それ自体には違憲性がないことを再三、再四に渡って述べていた。ただし、経済的合理性を理由に、個人がそのシステムに組み入れられることに反対の意思を示した際に、その意思を否定して行政がシステムに抵抗等の意思を示す個人を導入することは憲法違反であると指摘したに過ぎなかった。最高裁がわざわざ合憲判断を示さずとも、そもそもシステム運用にはおそらく概ね問題はなかったのである。

 現在、その母数からすると僅かな数に過ぎないのだろう個人情報の漏れが、河野太郎大臣によって公表され、報道を通じて批判も起きているようだ。「今更そんなこと言い出すの…」と、嘲笑したくもなる印象を拭がたいけれど、それでも資格確認証の話も出てきた。例えばだが、その個人情報の漏れを経験した個人が、マイナンバー保険証を持ちたくない意思を示した際に、政府は本来その個人の選択を尊重した上で、マイナンバー保険証の統合を進める他はないのだろう。少なくともわたしはそう考える。わざわざ資格確認証を新たに設けるのではなく、現行保険証をしばらく併用することでも、もちろんそれはよかった。

 岸田文雄は首相会見で、「デジタル敗戦」との言葉を使う。何を意味するのか曖昧で、明確ではない。だから、わたしにはそれが理解はできない。韓国や台湾に、4k、8kテレビ等や携帯モバイルの生産では、かつての様には産業で日本の主導権が取れなかった…程度のことを述べたいだけなのかもしれない。それを繰り返すわけにはいかないとでも言いたいのだろう…。しかし、そもそも産業を政府が保護すると、競争力が低下して育たないことが知られている。ある程度、政府が主導しなければ、マイナンバー制度と保険証を統合し、国民の個人情報をデジタル化して社会全体で共有する仕組みは構築できないだろう。けれども、それは最低限度に留めるのが政官財の本来保つべきバランスというものであろう。また、一定の内需拡大には繋がっても、人口は減少しているし、デジタル化による生産性等向上の底は見えているだろう。事前に情報共有が図り易いメリットがあるとしても、医療において共有されるその程度の情報共有がもたらすメリットは、おそらく一定度に限定されるだろう。少なくとも、厚生労働大臣が払うべき努力は、マイナンバー保険証統合化にそれほど割かれるべきでもなく、本腰を入れて取り組むべき課題が他にもあるはずである。

 現行保険証とマイナンバー保険証を一定期間併用し、最終的に全面的に統合を図る際に、選択肢として資格確認証の様なマイナンバー保険証から外れることが可能な選択肢を提示し、国民に選んでもらえば、マイナンバー保険証統合化問題はそれで済む話だろう。マイナンバーカードと保険証の統合化が、必ずしも間違っているのではなく、その手順が明らかに不味かったに過ぎない。わたしはその様に考えているが、宰相岸田文雄は会見においてそれを一切認めようとはしない。旧民主党政権が政権を失って以降、10年余り続いてきた自公政権の驕りがここにあると思う。阿波踊りではないけれど、踊る阿呆に見る阿保といったところだろうか…。

 国連の核兵器禁止条約に、日本政府が戦争被爆国として加盟することがどれほど現実的ではないのか、定かではない。根拠が明瞭ではなく、わたしには理解できない。核抑止力が国際社会で機能している現実が存在していない訳ではないだろうが、核保有国がこの条約に加盟するために、岸田内閣にどれほど寄与する外交力があるのかは甚だ疑わしい。少なくともその様に思わざるを得ない。それは…広島ビジョンを見れば、火を見るより明らかだろう。


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