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2024/07/06(土) 日記。妻不在。音楽とは本来は。アップルビジョンプロ。

家内が出張で早朝からいない。

午前中は大量の洗濯を回し、最近取り組んでいるDAW作業。
これは音楽というより、絵を描いているのに近い。あるいは小説を書いているのに近い。
これはこれで楽しい。
だが基本的には、僕の中で音楽は「生演奏」が本当だと思うのだ。古いかもしれないが。
とは言え、生演奏を楽団で演るというのを維持するのは大変な労力が必要で、
コスパ優先の世の中、音楽界の人びともだんだんとIT、コンピューターに頼るようになってきたのである。
私も例外ではなく、いや意外と早い時期から、それもパソコンが普及する前から音楽のデジタル化を実行していたのだ。90年ごろから、MIDIというデジタル音楽制作の規格について興味を持ち、そういう機器を使って作曲、編曲、録音をし始めていた。
もう、30年以上やっている。それだけやっていると十分趣味であり特技であってもいいと思うのだが、英語学習同様、達人と名乗るには程遠い。
未だに初心者と自分で言いたいレベルである。
問題は、機器やコンピューターソフトがどんどん進化することだ。
最初の頃は、作曲ソフトやMIDI楽器機器に対して「こんな事もできるのか!すごいな君は!」という驚きが多く、そのためにはめんどうくさい、プログラム言語も理解して入力するのも面白い充実した作業だったのだが、今は、「こんなことも出来ないのか?」とか、「これをやらせるには、どこをどうすればいいのか?」などと、出来て当たり前、できないのはポンコツ。いや、ポンコツなのはそれを操作する自分の方だ、みたいに感じてしまい、めんどうくさいことこの上なくなり、だったら、ギター弾き語りで老人相手に懐メロを歌っている方だマシだ。となってきたのだ。
いや、マシというより、さっきも言ったが本来音楽とはそういうものと私は思うのだ。
その場の空間を満たしている空気を何某かの楽器や声で振動させる。それが音であり、それをコントロールして聴き手の耳、鼓膜を介して彼らの心に響かせる。それが音楽だと信じているのだ。
とはいえ、現実を見ると、状況は全く違ってしまっている。
実際は、空間の空気を響かせるまでもなく、イヤホンを耳の穴に突っ込んで鼓膜のすぐそばまでスピーカーを設置させて耳の穴内の僅かな空気さえ振動すれば、音楽コンテンツは聴き手の脳に直接注入出来るような、そんな時代にすでに40年前からなっているのだ。

まあそれはそれで、私も実を言うと子供の頃からそういう音楽の聴き方が嫌いではなかったので、そちらもアリとは分かっている。
で、結局どっちなんだい?ということだが、どっちも、なので、苦労している。

やはり弾き語りだけでは、済まない。

というわけで、コツコツとやっている。

本当に、他人の趣味の世界など、どうでもよいことで、具体的に言えば言うほど、興味を持たれないものだと分かっているので、この辺で終わる。

近くの神社で茅の輪くぐり。
そのままウォーキング。
昼は抜こうと思ったが、3時頃、カレーを外食してしまう。
ひさしぶりに自由な時間を楽しんだ。

夕飯、ナポリタン。
自分は焼き鯖の棒寿司を食べたかったが、最近近くに売ってない。
あきらめる。
シメサバにする。

息子とyoutubeを見る。
ヒカキンがApple vision proという例のやつの購入開封動画をやっている。
息子より自分の方が興味を持っているようだ。そりゃそうだろう。
息子世代にとってはこの程度の技術は「現実の範囲」で、あとはいつ購入するかの問題だけだが、僕ら老人からすると、
昔想像した全く現実味のないでもあったらいいな、の、SFだからだ。
次元が違う。
そして、この技術はこの先まだまだ進化するのかと思うと、まだ死にたくないとは、一応思えるのだ。
まあ、これを自分が「購入」するかどうかは、未知数である。現在70万円以上するのだ。
うーん、微妙な価格だな。
車が買えるほどでもなく、家族旅行費用と思えば、まあそれなりに、という値段。
よほどの泡銭が入らない限り、こんなおもちゃは買わないかな。
実はiPadすら僕は使いこなせていない。
ヒカキンさんのように、画面見ながら、わーわー言うためだけに70万はちょっとなあ。
彼はそれが仕事だからいいけど。

(後半のアップルのネタ。前半のデジタル音楽のネタと掛け合わせて、それなりの文章が書けたかもしれないが、今は日記を書き飛ばすモードだし、そこまでの文章構成力に自信がない。またいずれ。ということを考えることが出来るようにはなってきた)

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