【エッセイ】異言語と身体の関係
英会話の勉強を始めた。書店に並んでいたテキストを買い、1日10ページを目安に進めている。難しすぎるのを選ぶと途中で折れてしまうので、自分のレベルに合わせて『ネイティブなら12歳までに覚える 80パターンで英語が止まらない!』、『ネイティブが使っている 43のテクニックで英語が楽しくなる!』という教材を選んだ。題名からわかる通り、私の英語力は中学生レベルで止まっている。高校、大学と英語の授業はあったが、ほとんど寝ていた。ただ大学院に上がり、たくさんの留学生と出会う中で、話したいけど話せないという歯痒さを味わったのだ。そこで「日常会話くらい話せたら!」と、これまでのブランクを背負いながらも、英語の勉強を始めたのだった。
「英会話は実践が大事!」というけれど、いや実際大事なんだろうけども、私はまだその領域にまで行っていないと思う。これまで私は留学生と2人でご飯に行ったり、遊びに行ったりする際、どうにかコミュニケーションを図ろうと、多少の英単語とジェスチャー、翻訳機、ミニホワイトボードを駆使して意思疎通を図っていた。そのとき「どうにか頑張れば最低限のことは伝わるんだ!」と思ったのだが、それは英会話力ではなく、手持ちの限られた英単語とそれ以外をイメージや機械で埋め合わせるような即興力のおかげだと分かった。それによって他者に対するコミュニケーション能力は上がると思うが、それでは一向に英会話力は伸びないだろう。ここで私は「実践をしても、今のままでは私の中の即興力が邪魔をしてしまう...」と思ったのだった。そこで、まずは自分の中の手持ちの単語、テンプレ文、また、その用例を増やそう!その後、それらを実践の中で使えるようにすればいい!と考えたのである。それで、そういった教材を選んだのだった。『ネイティブなら12歳までに覚える 80パターンで英語が止まらない!』、これが本当にいいのかは分からないが、私の今の考え的にはしっくり来ている。
このように私は英語学習を始めたばかりなのだが、私は何事もメタ的に考える癖があり、この英語学習、より広げれば「異言語の学習」に対してもメタ的に考えてしまうのである。つまり初心者にもかかわらず、英語を通して「母語ではない言語を後から会得するとは、どういうことか?」と考えてしまうのであった。まあ初心者であるか否かはさておき、先ほどの問いに関しては色々と議論のしようがあるわけだが、私が合唱を長年やっていたこともあり、異言語の「発音」と「言い回し」に対して特に考えてしまう。これまで私は英語はもちろん、ラテン語、ドイツ語、イタリア語などの異言語で歌ったことがある。発音もカタカナ変換ではなく、本格的にIPA(国際音声記号)に従いながら、舌の位置、口の形などを意識して歌っていた。たまに先生をお呼びして、発音の指導なども受けていたほどだ。ただそこで会得していたのは歌唱という、かなり特殊な状況下での発音、言い回しである。つまり日常における弛緩した身体での発音、言い回しとは異なるように思えるのだ。実際に日頃、教材の英会話の音源をシャドーイングしても、口が回らない、思うように言えないことが多々ある。これを単に「慣れていない」という簡単な言葉で済ませていいのかもしれないが、「異言語と身体の関係」「母語と身体の関係」という普遍的な議論に繋げられるのではないか、と思ったのだ。
続く
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