傷付きたくないという人が一番ガメツイ

さらけ出してなんぼ・・・と、思っておる私ですが、そんな品がよろしいわけではない。だけど、決めたことがある。それは”出し惜しみしないこと”。

高校生の時に山田詠美の小説に出会った。

『放課後のキイノート』『ひざまずいて足をお舐め』『僕は勉強ができない』など、順にどハマりし読み漁った。エイミー先生は、私にとっては神と変わった。それくらい、大事な人。だって、追っかけて、SMクラブにも入門したもん。いきなり女王様になれるわけじゃないけどさ、そんなの入ってみないと分かんなかったし。

最初はペーペーなのよ。でもそれなりに楽しかった。ありがとうございます、経験。ただあの世界で見たことは、本質的にはそう違わなかったかもしれない。エイミー先生の描いていることと。

人が、裸になって、服を脱ぎ捨て、仕事も役職もいわば地位も名誉も、何もないところで、好意が生まれたり囲いたいとか、護りたいとか?逆だと、あなたに捧げます、どう表現すればよろしいのか?

っていう感情が生まれる特殊な現場を、身を削りながら愛していたかもしれない。あの時は。要は、ハダカでどこまで勝負できるの?どこまで自分でいられるの?を、本気で観ようとしていました。生意気だな、でも、そうだった。

幸運なことに危ない目には遭わなかった。その代わり、お”姉さんたち”が男前過ぎて、私はただ憧れと少しの諦めを胸の中に収めておくことにした。(だって私はただのノーマルで才能も関心も、そこまで持ち合わせていなかった。)

ああそう、エイミー先生はね、『ケチな大人にならないでください』って言ってたの。(『放課後のキイノート』)それは、お金にケチとかじゃなくて、感情も、そこに対するエネルギーとか時間に対しても、出し惜しみしないで。って。

このことはいま現在でも私の信念として、強くマインドに刻まれています。っていうか、ダサイのは嫌なんです。かっこ悪くてもしょうがないけど、ダサイのは、だめなんです・・・

何を守っているのか、明確ならいいよね。いいと思う。

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