悲しくなかったオカンの死

12年前母が自殺した。自宅で首を吊って。

2008年の、2月29日、閏年のその日だった。忘れにくい日だな〜と思った。

タイトル通り、私は母が亡くなってからずっと今まで悲しくて立ち直れない程泣いたり、「なんで???」とか「どうしたら救えただろうか・・・」と、悔やんだり苦しんだりした事がないのが自分でも不思議だった。

母とは私が7歳の頃、父と離婚したので私と弟は父と暮らす事になった。兄もいたが兄は母と暮らす事になり、それ以来ずっと離れて暮らしていた。その頃から私にとって母は「不在」が当たり前の現実だったので、だから本当にいなくなっても悲しくないのは不思議ではない、と思っていたからかもしれない。それに、私が物心ついた頃から自殺未遂騒動が何度かあり、家に救急車が来た事も覚えているので、そんな母を幼いながらにも受け入れていたからなのかもしれない。

亡くなって最初の一年位は、夢の中で母が生き返ったり、「あれ?本当は死んでなかったんだっけ?」と夢の中で混乱したり、目が覚めた時にどっちが現実か分からなくなったり、金縛りにあったりしていた。それでしばらく供養のために毎朝お経を唱えたり、お香を焚いたりするのを4年程続けていた。それでも「悲しみ」や「苦しみ」という感情があまり湧いてこない事が不思議だった。ひょっとして私自身がその悲しみや苦しみを直視できないのを本能的に解って感情にフタをしているのでは?とも考え、これまで自分の心を観察し続けてきたが、あまり大きな変化がなかった。

ただ最近ある勉強会があり、そこで気付きがあったのでそれを書こうと思う。

その勉強会というのは、占星術やビジネスのメンターであるルミナさん(ルミナ山下さん)のカルマについての勉強会だったのだが、深く納得した事があった。それは「自殺は最大の赦しが起こって成せるもの」というものだった。そして「自殺する魂はとても強く、残された家族は”無条件の愛”を学ぶ」のだと。

母は離婚した直後、ペルーへ旅に出た。その当時バシャールやチャネリングに興味を持っていたらしく、おそらくペルーにいるヒーラーにメッセージを求めに行ったんだと思う。後から聞いた話だが、私と弟を父に押し付けるように離婚した後、目から血が出るほど泣き続けていたらしい(「泣き過ぎると本当に目から血が出るんやで」と何度も言っていた)。離婚の理由は明確には知らされていないが、少なくとも父の方が私と弟を充分に養えるからだ、という事は聞いていた。

「お母さんはあんたと〇〇(弟)を手放して十字架を背負ったんや」と、時々会いに行った時不安定な母はそう言っていた。つまり罪悪感によって自分を責め続けていたのだろう。

ペルーでは、「二人の魂は最初からあなたのことを許していて、それにあなたを母親に選んでいる」というようなメッセージを伝えてもらったと、いつか私に教えてくれた。それを聞いた当時の私は、分かるような、分からないような感じで「ふーん。」とだけ言った。それは母が亡くなった事を今でも他人事のように感じる「ふーん。」と似ている。

ただもしかしたら本当にそのヒーラーのメッセージの通り私たち、少なくとも私(の魂)は、母を最初から赦していて、無条件の愛をもう既に生まれる時には学んでいたのかもしれない、とその勉強会で思ったのだ。

都合が良すぎる解釈だろうか。しかし、そんな愛は存在するんじゃないかと思える、あるエピソードがある。

私が大人になってからの、何度目かの自殺未遂騒動。「お母さんもう死ぬから!」と母は何を始めるのかと見ていると、まず兄がずっと使っていた部屋(当時は物置になっていた)から、タンスやら棚やらあらゆる荷物を廊下に引っ張り出していた。「なんで死ぬのに大掃除がはじまるんだ?」と思っていた頃、母の生涯の友人であるSさんが駆けつけた。母は真剣に死ぬための(?)準備というか大掃除のようなことを血相を変えた様子で続けていたが、Sさんが「Mちゃんもう死んだらええのに〜」と笑いながら言った。私もついつい笑ってしまったのだが、母は今度は出してきたタンスや荷物を元に戻し始めた。その日はなんとか死ぬのは止めたようだった。

実際に亡くなってみてその日の謎は解けた。母は、兄の部屋で首を吊ったのだった。物置になっていた、退かしたタンスがあったその場所に紐を引っ掛けたのだった。

自殺する人はずっと死ぬことばかりを考えていると言うし、実際母もそうだったという事が分かった。きっと何年も前から何度もシュミレーションしていたのだろう。そしてSさんはそんな母をずっと見てきたので「もう死んでもいいんだよ」と言ったのだと思う。

「もう死んでもいいよ」は、死んだっていいし、生きててもいいし、どっちでもいいんだよ、どっちの選択をしても何をしてもあなたを赦しているし、愛している事には変わらないよ、という事だと思う。そんな愛があることを、当時私もなんとなく肌でわかっていたので「もう死んだらええのに〜」と笑いながら言ったSさんを見て不快とは全く感じなかった。むしろちょうどいいと、笑ってくれたSさんが心地良かった。

そんな風に、人は無条件の愛を学ぶ機会が人生の中であるのではないだろうか。特に「死」にまつわる事にはそれが多い気がする。

言うまでもないが、今私の子供や夫がそんな事になってしまったら、絶対に立ち直れない程苦しむと思う。泣いても泣いても、生きる希望さえ見失ってしまう程に悲しくて苦しむと思う。そんな想像すらしたくない位だ。

ただ一方で、全てを受け入れ赦し、無条件に愛するという「愛」も存在しているようだ。そのことが最近分かり、母が亡くなっても悲しくない事についての謎が少し解けたような気がした。

「天にとってはすべての死は祝福である」「どんな生も尊いし、どんな死も尊い」という事も教わった。その勉強会のあと、私は少し誇らしい気持ちになった。母に対しても、自分に対しても。「良かったね、お母さん。」と、久々に母を想い心の中にあたたかさが広がっていくのを感じて手を合わせた。

 ※当記事は自殺を斡旋するものではありません。

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