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人の数だけ世界がある

今年に入ってから小説家になろう(以下なろう)で小説を読み漁るようになった。
そもそもはコミカライズされたものの原作を読みに行ったところから始まり、「あら、これも原作がなろうにある」「おお、これも」といった具合で気が付いたときにはどっぷりはまっていた。アカウントも作ってたくさんブックマークしている。完全に沼である。

そして書籍化やコミカライズ(ときに両方)と書いてある作品を見ると、これは夢があるなあ……とこっちまでワクワクしてくる。既にある言葉かもしれないけど、なろうドリームと呼びたい。

異世界ものや転生ものがゴロゴロ転がっている中で思うのは、皆さんよく思いつきなさる!ということ。本当に、人の数(なんなら作品の数)だけ世界がある。まあそれは、一般的に流通している作家さんの作品だって同じなんだけど。

なろうの中でそれを強く感じたのは、書いている人たちの大半が素人だから、だと思う。本当にみんなそれぞれの世界を持っている。空想妄想の中に世界がある。他人が空想の中に持っているその世界をのぞかせてもらえることが、なんだかとても嬉しい。

ただ、本当に玉石混交で、「コミカライズは面白いけど原作はいまいちだなあ」と思うものもそれなりの数ある。これを読ませるように仕上げるのかー、と考えると、今度は原作を発掘する出版社の編集さんすげえな、この雑味ありまくりの作品をあんなに読ませるマンガに仕上げますか!と驚く。編集さん本当にすごいです、お陰で楽しく読めています。ありがとうございます。

そしてわたしも考える。自分が書くなら、まず魔法は存在する世界なのか。あるとして属性はあるのか、主人公は魔法が使えるのか否か。婚約破棄や冒険者パーティーをクビにされるのか。されるとして抵抗するのか、それともすんなり受け入れるのか。ざまあはあるのかないのか。溺愛って、どれくらいから溺愛?
……といった具合。

ちなみに最近の考え事は「自分にとってどストライクのもふもふとは」である。初めの方で読んだコミカライズが、ほぼ無条件に動物に愛される系だったからそこに引っ張られている感は少なからずあるけど、わたしはそこまで求めちゃいないなあ、だとしたら選ばれし魔獣とか聖獣に気に入られる系が良いのか?
……といった具合。

暇人みたいですね(暇ではないです)

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今回わたしはなろうで「みんな世界を持っているなあ」と改めて認識した話をしているけど、「みんな生きている世界は違う」というのは常々思っていることではある。特に強く感じるのは、同じ単語や行動でも人によって受け取り方が全然違うのだと実感した時。

辞典を引けば意味は載っているけど、単語に乗っている感情、その言葉を受けて抱く感情が人によって全然違う、周りの人が使っているニュアンスから意味をなんとなく理解していて、結果辞書通りの意味で捉えていない人もいる。そこからすれ違いが生じるわけで。

本当に人って面白いなあ。今ここで生きて他人と触れ合っている世界でも、人の数だけ存在するんだよなあ。しみじみ。

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というわけで(どういうわけだ)あなたの内面も、ストーリーではない文字としてこっそりダダ漏らしてみませんか。来週の夏至から一緒に自分と向き合おうぜ!というお誘いもしています。


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