「あいしてるよ」を伝え合った日のこと


 春から年長さんになる息子はいつからか、聞き慣れない言葉に出会うなり、その意味を訊ねるようになった。記憶力が良く、修正が効きづらい特性がある。いくら私が慣れ親しんでいる言葉であっても、必ず調べてから伝えるようにしていた。

 なんでもとりあえず自分でやってみたい。そんな息子のことだから、自分専用の辞書を欲しがるのも時間の問題でしょう。というわけで、総ルビ付きの辞典の中でも唯一、UDデジタル教科書体が使われている、三省堂の小学国語辞典を買った。

 読みやすい字体が使われている上に、オールカラーのそれは、私にとってもかなり見やすい。とらデザインの表紙がかわいい。私も欲しい。園に持って行きたがるほど、息子も気に入ってくれたようだった。

 初めて調べる言葉はなんだろう。
 今か今かと待ち構えていた。けれど当の本人は辞典を手にしてからというもの、ぱったり意味を訊ねてこなくなった。自分で調べている様子もない。

 まあ、薄々そんな気はしてたんだよ。多めに買っておいた納豆はなかなか減らないのに、ないときに限って食べたがるのに似てる。大幅にトーンダウンしつつ、その日がやって来るのをのんびり待つことにした。

 

 あんなに意気込んでいたのに。存在自体を忘れて数日経った、とある日の夜のこと。

 今日も一日よく乗り切った。いそいそと布団に寝転ぶ。先に横になっていた息子が、いつにも増して甘えん坊になっていた。待ってました!と言わんばかりに、私の胸に顔をうずめてじっとしている。がんばりすぎて、またしんどくなっちゃったのかな。小さな背中をぽんぽんする。私の袖をぎゅっと握った息子は、それから身体を離して、ささやいた。

「ママ、あいしてるよ」

 わあ。びっくりした。あいしてる、なんてこれまで言ったことも言われたこともない。と思う。どこから仕入れてきたの。大好きな『クレヨンしんちゃん』を真似たんだと、冷静に考えればすぐわかることなのに、驚きすぎて種明かしされるまで全然わからなかった。

「ひろしが、みさえにいうよね」
「いうね、どんな意味か知ってる?」
「大好きー、とか?」
「そうそう、せっかくだから、他に意味があるか調べてみようか」

 息子は「そうだね!」と言うのと同時に、テーブルの上に置かれたままだった辞典に手を伸ばした。

 「あいしてるよ」そのままの言葉は載ってないから、「あいする」を読んでみるね。というと、私の隣で正座して待っている息子の、弾んだ声が返ってくる。

あいする【愛する】①かわいがる。②好きだ。好む。③大切に思う。


「それ、ぜんぶだよ」

 私が読み上げると間髪入れずに、息子がそう言った。少しも照れることなく言うから、また鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてしまう。

 私は身体を起こして、息子を抱きしめる。それから「ありがとう、ママも、あいしてるよ」と伝えた。

 息子の満たされた表情を見て、そういえば去年も寝る前だったなと思い出した。ささやくような声で、私だけのために、覚えたばかりの歌を歌ってくれた。今年の誕生日に一日遅れで届いたプレゼントのことは、とらの辞典を見るたびに思い出すんだろう。