私がベトナムに行く理由
明日から3日間ベトナムに行ってきます。
でも半分は飛行機の中なので、実際ベトナムにいるのは1日半ぐらい。
なんでそんな弾丸でベトナムに行くのか。
理由は簡単、「友達に会うため」です。
その友達(以下:ありま)は大学のサークルの1個上の先輩。
知っている人は知っていると思いますが、私は大学で海外ボランティアのサークルに所属していました。石鹸を用いた手洗いで、下痢で亡くなる人を減らしたいと、カンボジアの農村地域で予防医療指導のようなことをしていました。
私と彼女はもう1人の先輩(以下:ダダ)と3人でそのサークルの幹部をしていました。それは私が2回生、ありまとダダが3回生の1年間でした。
この前別の友達と話していて、「もし過去に戻れるならいつに戻りたい?」という話になりました。その時、すぐに頭に思い浮かんだのがこの1年でした。
この1年間は私にとって、特別な時間でした。
毎週火曜日はサークルに所属する全員でミーティングをしていました。総勢40人ほどで、長期休暇のカンボジア渡航に向けて何ができるか、資金調達のためのイベントの内容を詰めたり、毎週いろんな話し合いをしていました。
今、あの頃を振り返ると、どうしてあそこまで本気で取り組んでいたんだろうと思うほど、私たちは本気で取り組んでいました。
カンボジアの人たちに私たちは何ができるだろう、支援とはなんだろう、考え続けた3年間でした。
その全体ミーティングの内容を詰めたり、組織体制を整えるため、幹部は幹部で幹部ミーティングをしていました。
幹部ミーティングは基本夜、ダダの家でやっていました。最初は大学とかでやっていたと思うけど、いつの間にか自然と幹部ミーティングはダダの家になっていました。
当然ミーティングは真剣にやっていました。幹部を始めた当初は、私が2人より年下なこともあり、遠慮したり、意見を言えなかったりしてモヤモヤすることも多かったです。原因が何かは覚えていないけどダダの発言にキレた私が深夜ダダの家を飛び出したり、逆に私がダダを泣かせたりもしました。ありまもよく泣いていました。笑
そしてミーティングが終わったらそのまま布団を敷いて、ダダの家で3人寝て。次の日朝起きて自分の家に帰って大学に行って。
ダダは料理ができる人だったので晩御飯もダダの家で食べるようになって。気づけば1週間のうち半分を3人で過ごしていました。そしてそんな日々が1年続きました。
2人は私にとって、親友であり、お兄ちゃんとお姉ちゃんであり、総合してさながら家族のような存在でした。寝食をともにし、一緒に泣いて、笑って、過ごしてきた本当に大切な存在です。(二人がどう思っているかは分からないけれど笑)
そして現在ダダは長野で教員をして、ありまはなぜかベトナムの会社で働いています。
話は変わりますが私は桜林直子さん(通称サクちゃん)の考え方や、書かれる文章が大好きです。多分自分自身の生き方や考え方にとても大きな影響を受けています。
その中でもこのnote
桜林さんの大切なご友人が病気で亡くなられたことについての記事です。
この記事を読んだとき、おそらく1年ほど前の私は大きな衝撃を受けました。文章から溢れ出した桜林さんの感情がダイレクトに心に突き刺さりました。
そして読んだ時から今に至るまで、ずっと私の頭の中には、文中の『わたしはぜったいに、会いたいひとには会いたいと言う。すきなひとにはすきだと言う。どんなことでも、もう出し惜しみはしないと決めた。』という言葉が残っています。ふとした時にいつも思い出す大切な言葉になりました。
だから、私も会いたい人には会いたいと言う。好きな人には好きだと言う。そう決めました。
だからベトナムに行きます。
年末まで待っていたら日本で会えるのかもしれないけれど、お互いが明日死なない保証なんてどこにも無いから。
とか言いつつも初めての一人海外なので割と不安。。無事行って帰って来れますように!
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