相手の目線になること
仕事をする中でつい自分目線になってしまい、
患者さんの気持ちを考えられなくなる時がある。
頻回に私たちを呼び、慢性的な痛みを訴える方がいるのだけど
正直に言うと私は「業務が進まない」とか「煩わしい」と感じてしまっていた。
意識を変えること
今、私はじぶん革命と題して、さまざまなことにチャレンジしてみている。
その中で、物事を俯瞰してみることを自分の中で流行らせている。笑
今回もその訴えの背後には必ず理由があるはず、
その理由は何だろうかと、その物事の奥行きを考えてみた。
すると見えてきた患者さんの背景。
それは、生活状況、暮らしている場所や家族との関係、今まで生きてきたこの方の歴史…などなど
もしかすると頻回に私たちを呼ぶその後ろには
・痛みが増幅するのではないかという恐怖
・自分へ見向きしてくれないことへの不安
・甘えたいのに甘えられない寂しさ
などがあるのではないかなと思った。
そう思うと、この患者さんに対する気持ちも変わってくる。
受容すること
例えば会話は
キャッチボールに例えられるように、
人との関わりの中でも
「受け入れてもらえる」
と感じることが大切なのではないかと思う。
「受け入れられていない」ことは疎外感を感じる。
メカニズム的にも、悲しみとか苦しみ、
そういった負の感情(ストレス)をもつことで
ストレスホルモンであるコルチゾールがさらに痛みを倍増させてしまう。
頭ごなしに対処法を伝えたって、何かしらの処置をしたって、患者さんは納得されないのは分かりきっていること。
受け入れてからの私の気持ちはとても大らかなものになっており、普段感じる業務優先のような自分目線ではなくなっていることに気づいた。
その気持ちを心に留めながら、私は最近覚えたタッチケアを行ってみた。
すると、いつもは痛みの訴えが頻回でずっと私たちを呼ぶその方が、すやすやと穏やかになった。
・
タッチケアの効果はもちろんあると思う。
癒しホルモンであるオキシトシンが、痛みを緩和させたのだと考える。
でも、それだけでなくて、私の物事の見方を変えてみたことも大きいのではと思った。
少なからず、自分の気持ちは相手に伝わるものだ。
そして、「分かってもらえた」「受け入れてもらえた」と感じると人は、安心感を覚えるのではないかと思う。
慣れてしまうからこそ
もしかしたら、そんなこと当たり前のことなのかもしれない。
でもそれすら忘れてしまっていた自分。
ついつい忙しい業務に追われると、患者さんの気持ちは二の次で、自分の業務を終わらせることに精一杯になってしまっていた。
それは違うよと
その方から教えられた、気づかされたのかもしれない。
人間は良くも悪くもその場所、その事に慣れてしまう。
でも、だからこそ
大切にしないといけないことを忘れないように
流れ作業のようなルーチンになってしまわないように
その方の目線に立って動ける人でありたいと思う。
最後まで読んで下さりありがとうございます!何か少しでもヒントや為になる事があれば嬉しいです(^^)