熊野大花火大会活性化活動③
4日目(17日)
不安が残るまま当日を迎えた。
寝不足で体調は万全ではない。つくづく体力ないなぁと痛感した。
私の現場は7時半から活動開始で、一番朝が早い現場だった。調理場に朝ごはんを取りに行き、みんなよりも早くご飯を済ませ、7時からすりみんのアンケートのレクチャーがあった。
すりみんとは、私たちivusaと熊野漁業協同組合で開発中の、魚のすり身をおせんべいに練りこんで作ったもので、すりみんは仮の名前である。
これをお昼頃の暇な時間に来場者に試食してもらって、美味しいかどうか、熊野の名産品としてどうかなどを聞いた。
7時半に浜辺のゲートに到着し、警備員と一緒に交通整備の予定だったが、車はそんなに来ないし、警備員の人がやってくれるし、先輩が言ってた通り私たちがやることは特になかった。本当に手持ち無沙汰だったので、ゴミ拾いをして、あとはずっと同じ現場の人と喋ってた。お昼頃まで何時間も暇してた...朝のバタバタを返してくれ...こんな朝早くに来る必要ないじゃん!人通りもないからすりみんのアンケートもできないし...。先輩に許可を得て同い年の班員と鬼ヶ城見に行ったりして暇つぶししたりした笑
現場長のやつは、LINEのノートに色々報告したり、こまめに連絡を確認したり、電話がかかってきたりしてめんどくさかった。私だけでなく全体的に見て、現場長という組織はうまく機能していなかったと思う。
お昼を済ませて、すりみんのアンケートを始めた。朝から場所取りしてた地元の方がさんま寿司をくださって、それがすごく美味しかった!まだ人通りは少なかったけど、地元の方とお話できたりもした。すりみんは好評で、小さな子供もモグモグ食べてくれたり、大人の方はお酒のつまみにいいんじゃないかと言ってくださった。熊野の名産品になったらたくさんの方に食べていただきたいな!
夕方になりだんだん人通りが多くなってきた。暑さもあって体力は有り余ってなかったけど、本番はこれから。来年の花火を打ち上げるための費用になる募金を始めた。募金活動をするのは初めてだったが、アパレルでバイトをしていたので声出しはできた。通りすがる目線は痛かったが、他の現場でも頑張っている仲間のことを考えたら、へっちゃらだった。私の班員であるクリントン(あだ名)と声を合わせたりして、気づけば必死になって募金活動をしてた。地元の方々や小さな子供が募金してくれたり、声をかけてくれるだけで励みになった。毎年ありがとうって言ってくださった方もいて、ivusaは信頼されているんだなと感じた。花火が始まるまでたくさんの方が募金をしてくださった。
花火が始まる時間になると人通りは少なくなり、職員の方が花火見てな〜て言ってくださった。熊野の花火を自慢げに紹介してくださった。花火を見てる時、他の方にも声をかけられて、次はあそこら辺からあがるよ〜とか教えてくれた。その方は、熊野の小学校で先生をやっていたらしく、私たちに花火を楽しませてくれた。
花火を見てて、熊野に来て良かったって思った。
こんなに大規模で素晴らしい花火見たことなかった。隅田川の花火大会と比べ物にならないと思う!見方が違うからかな?笑
関西でのプロジェクトは初めてで、7~8割くらいが関西人の中で活動してた。思った事は、関東出身の人とは性格が違うというか、根っからの何か違うものがあると思った。人の温かさを感じることが多いし、居心地の良さを感じる。そして熱い人が多い。関西っていいな〜って思った!
〜
花火が終わり、たくさんの人が帰る。私たちの頑張りどきだ。これ以上出ないってくらいの大声を出し、募金を呼びかけた。子供が小さなお財布からお金を出してくれたり、札を入れてくれるおじちゃん、今年も良かったよと声をかけてくれるお母さん。声をかけていただく度に泣きそうになった...。後半メンタルきてたから、何度も泣くのをこらえて、声かけを頑張った。募金箱は両手で支えていても重くて大変なくらいになった。
なんかこの時のことを思い出すのしんどいなあ!笑
この日は10時頃に活動を終えました。
なんとか最後まで、力を振り絞って、頑張ることができた。
体育館に戻って、友達と会って、ほっとした。
帰ってくる仲間たちを迎えるために、入口から登壇まで2列に並んで、ハイタッチをしたよ〜!
本当に本当にお疲れ様でした!
この日はね、疲れすぎて寝室で寝ないで、女子更衣室の畳で気づいたら寝てた笑
先輩は前からここで寝てたみたいだけど...起きたら体バッキバキだったよねえ笑
この記事はここまで!
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