SOS

今思い返してみると、中学の頃、所謂“フラッシュバック”について、担任に相談したことがあった。
異常なほど毎日過呼吸になっていた中3の夏、担任が進路が心配なの?何かあった?とよく心配してくれて
そこで初めて 「別世界に行ってしまう時があるんです。現実じゃないところに行ってしまって、怖くて涙が止まらなくなるんです 時の流れもわからなくなるんです」と 拙い語彙で必死に伝えたことがあった。
「気がついたら別世界に行くなんて 誰も信じてくれないと思うけれど でもほんとなんです 本当に ここじゃない違うところに行ってしまうんです」
担任はそうかそうかと聞いてくれた。
その後も、今日も別世界に行ってたの?と私の別世界の話を信じてくれた。これはあとから聞いた話だが、当時ニコイチだった友人に「紗夜ちゃんの悩んでること何か知らない?」と聞いていたらしい。
昼夜問わず心配の意を見せてくれる担任に私は少しずつ心を開いていった。そして中3の冬、私の志望校は願書の提出日が他校より早かったので、放課後に担任と2人で願書を清書していた。その時、初めて本当の悩みを打ち明けた。
「父親と車で登校するのが辛いんです。(朝の体調が悪いので車で送ってもらっていた)嫌なところを触られて、新しい服を着せられて、、」それ以上は言えなかった。
「それは、アタッチメントとしてじゃないの?お父さんも紗夜ちゃんのことを愛しているし、大好きなんだと思うよ」私はその言葉に絶望し、涙も出なかった。
数日後、学校に父と母が1人ずつ呼び出されて担任と学年主任で話を聞いたらしい。でも“外面”のいいうちの親がぼろを見せることはなく、(教師が聞き取りの専門性を持たなかったのかもしれないが)「紗夜ちゃん、お父さんもお母さんも紗夜ちゃんのこと本当に心配してくれてるし愛してくれてるよ、いいお父さんお母さんだね」
もう無理だ、誰も助けてなんかくれない。
安易に期待した私が馬鹿だった。もういい何も望まないから変に介入しないで。


2年後。
私の担任は美術の先生だったのだが、入学し美術部に入った妹が 児相に保護された。勿論、私の保護のタイミングで。

児相が妹に中学の部活の先生がものすごく心配してくれていたよと言っていたのをチラッと聞いた。


あの時担任は どう思ったのかな。やっと気づいた?私が出していたSOSに。




私、ずっとSOS出してたよ。気づいてくれた?怒らないから辛かったねってごめんねしんどかったねって、私のしんどいを受け止めて。


どうして限界に達して壊れないと誰も気づいてくれないのかしら。
SOS出してって言うなら、受け止めてよ。


ごめんねいつまでも変われない。

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