見出し画像

70年代のジャッキー。「成龍」を名乗った頃について少し書こうか


ジャッキー・チェンの名を知っている方であれば、コミカルなカンフーを使って敵をやっつける「スネーキーモンキー蛇拳」「ドランクモンキー酔拳」をはじめ、「少林寺木人拳」や「龍拳」「カンニングモンキー天中拳」「蛇鶴八拳」「クレージーモンキー笑拳」などはご存知だと思いますが、本日はその作品が作られた70年代に焦点を当てています。

とりあえずジャッキーの拳シリーズまでの経歴をサラッと書くと

香港のヴィクトリア・ピークにて生まれ、7歳から中国戯劇学院へ入る。そこで京劇や中国武術などを学び映画のエキストラやスタントマンとして活躍

学院を卒業した後仕事が無い時期があり、両親の住むオーストラリアで生活していた時に当時ロー・ウェイの会社で働いていたウィリー・チェンから連絡を受け、「レッド・ドラゴン/新・怒りの鉄拳」に出演する事になる。

こんな感じなのです。>でもこの作品ではヒットを飛ばす事は出来ませんでした。

ここでとても重要な人物の名前が2つほど出てきていますが

まず、ロー・ウェイ(羅維)ですね。

ゴールデン・ハーベストに監督として在籍していた彼は、主演にブルース・リーを起用し、それが大ヒットとなる。

当然の事ながらブルース・リー若いな~

75年に自身の会社、羅維影業公司を設立し、第二のブルース・リーを探していたんですね。

そこでジャッキーに白羽の矢を立てた。


もう一人。ウィリー・チェン(陳自強)

こちらはジャッキーと二人三脚で苦楽を共にしたマネージャーさんですね。

しかし彼の関わったスターはジャッキーだけじゃなく

マギー・チャン、張學友、レオン・カーフェイ、ジェット・リー、最近話題のトニー・レオンなどのエージェント(代理人?)として仕事をしていたようで。

香港映画の黄金時代を支えた1人と言っても過言ではないと思います。

そのウィリー・チェンから連絡をもらってジャッキーは香港へ戻り、映画の撮影をするわけですけども

それまで使用していた芸名が「陳元楼(陳元龍)」で、

陳元楼が、中国戯劇学院時代から使っている芸名で

陳元龍は元々サモ・ハンが使っていた名前をジャッキーが使っていたらしい

新しい芸名が必要だという事になり、色々案が出されたあげく

「成龍」になったと。

しかし、芸名の候補は「〇龍」で、色々出されていたらしいけど

「龍」はジャッキー的には外せなかったのかも知れないですね~


90年代以降のジャッキーの自伝が2冊ほど出ているのですが

その2冊「I AM JACKIE CHAN -僕はジャッキー・チェン-」と「永遠の少年 ジャッキー・チェン自伝」で書いてある内容が微妙に違うw

見比べてみるのも楽しいかと。

やっぱり本は定価で販売してくれるとこが一番だな~

先に出した2人との70年代の話もなかなか強烈なものばっかりみたいですね💦また次回にしよ


最後まで読んで頂き、ありがとうございます(^^)


私はジャッキー・チェンを良く知らない、最近知ったばかりの方へ向けて記事を書いていきたいな~と思います。 メリケンコさんのYouTubeで訳詞を提供しております。そちらもどうぞ https://www.youtube.com/c/moriatomerikenko/videos