⑪今だからこそ考えてみたい。ジャッキー・チェンがハリウッドで成功したわけを。
アメリカにジャッキー旋風が吹き荒れた時の様子になります前回の記事
こちらの続きですね。
今回は、「ラッシュアワー」が製作されるまでの話が中心になりますね。
「レッド・ブロンクス」がアメリカで大ヒットしたジャッキーはその後アメリカへの番組に出演し、認知度を高めていった。
当時ジャッキーがアメリカで叶えたかったのは
前回の記事にも書いた、ロサンゼルスでのプレミア上映。
もう一つ叶えたいものがあったみたいですね。
1997年1月5日、チャイニーズシアターに手形と鼻形(この時は足形はとったのかな?)を残す。
探したのですが、2回目の手形をとる映像しか出てこなかった💦
しかし0:42~辺りから1997年当時の映像がチラッと映ります。
「ラッシュアワー」の話が出てきた時に、当時の日本のファンだった私たちにも、裏切られたまではいかないけれど
もう香港で映画撮影するのはなくなるのかな~(本当はそんな事ないとわかっていても)少々不安に苛まれていた方は少なくないと思います。
なんてったって1997年の7月1日ですよ。香港がイギリス領から中国へ返還されたのは。
その事実の前後で、激動あふれる世界(映画界の事ですが)に生きてきたジャッキー・チェンという人>同じ時代にたまたま生まれて、少々ズレてはいますが同じ時代の空気を味わえたのはある意味幸福な事かも知れないですね。
っていうのもね、スクリーンアーカイブズの記事の中で記者から上記のような質問を何度か受けてて、そのたびに香港映画も撮り、ハリウッドへもいくという2足の草鞋的スタンスで行く事、今回は自分から行ったわけではなくて、アメリカから求められて行く事も強調してますねw>何度も聞かれてウザかっただろうな~w
さて、「ラッシュアワー」を語る前に
この作品には絶対に欠かせない2人を紹介しとかないと。
まずはクリス・タッカー
ジャッキー「15分間早口で喋りっぱなしで何を言っているのかわからなかった」
というのが最初に会った時の感想らしいです。
クリス・タッカーはどこから出てきたのかというと
スタンドアップ・コメディの大御所が一堂に会するデフ・コメディ・ジャム
という番組があったそうなのですが、そちらに頻繁に出ていたそうです。やはりコメディアンって事なのかな
私が初めてクリス・タッカーを知ったのは「フィフス・エレメント」
2:34~辺りに出てきますが、あのビジュアルは目に焼き付きますね。
とんでもなくあっけなかった作品は「ジャッキー・ブラウン」
監督:クエンティン・タランティーノ
見事にマシンガントークが封殺されていますw>監督の専売特許でもあるしねw
マジですが、クリス・タッカーを探せ!で遊べる
「フィフス・エレメント」も「ジャッキー・ブラウン」も1997年に公開されています。
「ラッシュアワー」シリーズの後の彼というと
マイケル・ジャクソンの「You Rock My World」のMVに出演したり。
マイケル、ジャッキーと共演したかったんだろうな~>ラッシュアワーの雰囲気に寄せているシーンもありますね。
「世界にひとつのプレイブック」
まだまだ準主役の枠からは抜け出せていない感じはしますけど、今までの賑やかしだけの路線ではないような気がする。
「ビリー・リンの永遠の一日」
かなり本格的な戦争映画。イラク戦争が題材になっています。ここでも主役ではないけれど、すこーしずつ幅を広げていっているような気がしますね。
もう一人は監督ですね。ブレッド・ラトナー。
「ラッシュアワー1」監督当時は27歳!!若かったんですね~
90年代にアーティストのMV製作。マライア・キャリーやマドンナのMVも手掛けていたようです。
マライア・キャリー「We Belong Together」
マライアも当時爆発的人気を誇ってましたね。
その後、
クリス・タッカー×チャーリー・シーンW主演による「ランナウェイ」で映画監督デビュー。
配給がニュー・ライン・シネマで音楽はなんとラロ・シフリン。
予告編観ただけでも ん?って思うんですけど
監督、クリス・タッカーを第二のエディー・マーフィーにしたかったん?
とりあえず、エディー・マーフィーの代表作と比べてみよう
「48時間」
「ラッシュアワー」でも似たようなシーンが出てきますが、あの2人が何をしたかというと
エドウィン・スターの「War」に乗せてダンスをしながら打ち解け合うんですよね。
「ビバリーヒルズ・コップ2」
エディー・マーフィーも80年代に爆発的人気を得たスターですね。
マシンガントークで口八丁手八丁使い、捜査のためと言って改装中の豪邸(だったかな?)をちょっとお借りするという。
クリス・タッカーがエディー・マーフィーと似通っている雰囲気があるんですよね~無理もないですが。>でも第二の~なんて付いちゃうと、それを超える事なんてできないのがクリス・タッカーの不幸だったのかも知れないですね。
※第二の~と言うのは私の自分勝手な妄想です。ご了承下さい。
「ラッシュアワー」後のブレッド・ラトナーは
「X-MEN:ファイナル ディシジョン」とか、「レッド・ドラゴン」はびっくりしました。
クレジットは無しのようですが、「ライジング・ドラゴン」のプロデューサーとして関わっているようだし
「レゴ®ニンジャゴー ザ・ムービー」のエグゼクティブプロデューサーとしても関わっているようです。
監督も、すこーしずつですが幅を広げて行ってますね。
でもこの2人がいなかったら「ラッシュアワー」の成功はありえなかった。
一時期話題になっていた「ラッシュアワー4」は実現するのか?!?!?
最後まで読んで頂き、ありがとうございます(^^)
私はジャッキー・チェンを良く知らない、最近知ったばかりの方へ向けて記事を書いていきたいな~と思います。 メリケンコさんのYouTubeで訳詞を提供しております。そちらもどうぞ https://www.youtube.com/c/moriatomerikenko/videos