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今だからこそ考えてみたいシリーズ

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ジャッキー・チェンがなぜハリウッドで成功したのか?アメリカへ挑戦した作品と共に、自分なりに考えてみたいと思います
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2021年9月の記事一覧

⑫今だからこそ考えてみたい。ジャッキー・チェンがハリウッドで成功したわけを。

前回の記事はこちらになります。 さて、ラッシュアワーを語りたい が!!!! ジャッキーのインタビューはあっても、クリス・タッカーとの2人でのインタビューがないな~ 2からはあるんだけどな~ 今回は、ジャッキーがハリウッドで「映画人として」どのように受け入れられて、「ラッシュアワー」が作られていったかの話。 ある日シルベスター・スタローンから、自分のプレミア上映に来て欲しい(たぶん「クリフ・ハンガー」)と招待されてアメリカへ行ってみると、スタローンは「デモリションマ

⑪今だからこそ考えてみたい。ジャッキー・チェンがハリウッドで成功したわけを。

アメリカにジャッキー旋風が吹き荒れた時の様子になります前回の記事 こちらの続きですね。 今回は、「ラッシュアワー」が製作されるまでの話が中心になりますね。 「レッド・ブロンクス」がアメリカで大ヒットしたジャッキーはその後アメリカへの番組に出演し、認知度を高めていった。 当時ジャッキーがアメリカで叶えたかったのは 前回の記事にも書いた、ロサンゼルスでのプレミア上映。 もう一つ叶えたいものがあったみたいですね。 1997年1月5日、チャイニーズシアターに手形と鼻形(

⑩今だからこそ考えてみたい。ジャッキー・チェンがハリウッドで成功したわけを。

ちょっと「レッド・ブロンクス」の アメリカで公開されていた時代の事を集中的に調べまくっているのですが アメリカでの公開日は1996年2月26日 日本での公開(1995年8月5日)から、アメリカでの公開までにあった出来事、公開後の話も見過ごせないものばかりなんですよ。 今回はその辺りの事を書きたいと思います。 こちらの記事で、87年にニューヨーク映画祭で「ポリス・ストーリー」が特別上映されたのは、バート・レイノルズが大きく関わっているという内容を書きましたが 90年

⑨今だからこそ考えてみたい。ジャッキー・チェンがハリウッドで成功したわけを。

『レッド・ブロンクス』で、スタンリーと僕は、できるだけ「国際的な」香港映画、つまり東洋だけではなく、西洋の観客にも受け入れられるような映画を作ろうとした。 ーI AM JACKIE CHAN 僕はジャッキー・チェンよりー 「ポリス・ストーリー3」で初タッグを組んだスタンリー・トン監督。この作品でも十分世界の方々には受け入れられる要素はあるとは思うのですが いかんせん当時はまだまだ無名の1アジア人。 そこはジャッキーもよくわかっていたはず ポリスト3には、次回の大本番へ