自分の行動
自分の行動は「自分で決めている」
当たり前だけど、その当たり前という〝現実〟を見失う瞬間は1日に何度も訪れる。
車で右折車を対向車を譲ったのに、会釈もハザードのリアクションがなく「イラっ」
コンビニのレジ待ちが長く「イラっ」
器の小さい人間だと思われたくないから、平静を装うが内心モヤモヤ。
これ、全て他人が影響してモヤモヤしているようで自分の選択が引き起こした結果でしかない。
車での出来事はただ〝譲らなければいい〟だけ。
あらゆる結果に紐付けされた行動の中で〝譲る〟選択肢を選んだだけなのである。と、思う。
譲らなければ、道の奪い合いで事故を起こしているかもしれないし、人を轢いているかもしれない。
譲った結果、自分の思い通りの結末にならなくて心をざわつかせているだけであり、〝譲られた側〟にも選択権はある。
それを自分の思い通りに相手が動かなかったからイラつくというのは冷静に考えるとなんとも傲慢である。
コンビニにいたっては、そのコンビニに入らなければよかったのだ。先を急いでいたなら、もっと早く出かけていればよかっただけのこと。
要するに、自分の都合の良いように他人が動いて最高の結果にならなかったことにいちいちイラついている器のこの上なく小さい人間。
と言う事実を生み出しているだけである。
自分でここまで考えておいてもなお、小さなことにモヤモヤする小さく未熟な私がここにいる。
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