優先
大切な人が病気になったら
大切な人が亡くなったら
たぶん、生活は変わると思う。
生きる気力すら危うい。
病気になったら
余命を宣告されたら
寝たきりになったら
ずっと最期までそばにいたいと思う
どんな努力も厭わない。
自分を犠牲にし
寝る間を惜しんで
仕事もどうするか。。。
そして、お別れしたら
ずっとその人との思い出を思い返すに違いない。
部屋を綺麗にして
思い出を飾って
写真を眺めて
思い出の動画を見て
‥‥
‥‥
‥‥
それ、なぜ相手が元気な時に出来ないんだろう。
多分、この後悔もついて回ると思う。
何で〝今〟相手のことを思えないんだろう。
何で〝今〟寝る間を惜しんで相手を見れないんだろう。
何で〝今〟優しくできないんだろう
何で〝今〟家に帰らないんだろう
失意のあまり〝辞めてしまう〟事柄は、きっとすでに大事じゃないと思う。
〝今〟いや、常に大切な人を思って
平凡な1日のかけがえのない〝1秒〟をもっと
大切にしなきゃいけないな。
そう思った今日この頃。
戦争のニュースでストレッチャーで運ばれながら離れ離れになったパパを泣きながら呼び続けている映像を見ていたら
ふと〝平凡な今〟を見つめ直すきっかけになった。
戦争の被害にあった方々のご冥福をお祈りします。
コロナ禍だから
という言い訳はもう辞めたいですね。
あらゆる嫌な情報はたえず飛んでくるけど
銃弾は飛んでこないのだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?