脆い私も愛せるように
2023年3月。この頃の私は自分にとって大きな壁だったものを一つ乗り越えた気がしていて、ものすごく幸せだった。
苦しいときは気づかなかったけれど、あの時のキツさは成長してた証拠だったんだなと納得できて、とにかく達成感に溢れていた。
苦しみたい!!とは思わないけれど、次はどんな壁が待ち受けているのだろう、どんな成長ができるんだろう?と次の壁を想像しては、少しだけワクワクしていた。
そりゃ、そうだ。
この頃の私はまだ、次の壁がどれだけの苦しいものなのかを知らない。
そして、私を待たせることなく、新たな壁が出現した。
新たな壁
この一年悩まされたのは、大学受験だった。
大人だったり、先輩だったり、今の私だったり、大学受験を経験すると
「受験なんて」というレベルなのかも知れないけど、やっぱり、進路が決まらないこと、自分の進むべき道を選べと言われる受験という一大イベントは、正直、不安で、怖かった。
高1から高2の3月まで、私はとにかく関東への憧れが強かった。
ざっとまとめると
高1:なんとなく経済学部
高2前半:教育楽しい!もっと学びたい!教育学部いきたい!
高2後半:教育を今の自分にはない視点で考えられる自分になりたい。だからあえて、教育以外のことを学びたい→SFCに惹かれた。
実際、3月は一人で東京に行ってSFCにも行ってきた。
SFCの先輩を紹介して頂き、案内までしてくれた。
ここに行きたい。強く誓ったはずだった。
APUとの出会い
一応、併願校は決めてたほうがいいよ。とSFCの先輩から併願校リストが送られてきた。APU、AIU、立教、早稲田・・・
一番上に書かれていたAPU。この時の私は恥ずかしながらAPUがどんな大学で、どこにあるのかも知らなかった。だから、ググった。
APU→正式名称は立命館アジア太平洋大学というらしい。
聞いたことはあったので、あ、APUと一般的には呼ぶんだということを知った。それにしても、すごい名前。
どこにあるのかな?→大分県別府市
九州から抜け出し、とにかく関東に行きたかった私はこの文字を見た瞬間、私は大学のウェブサイトを見ることもなくタブを消した。
え?って感じだよね。今の私はそう思うんだけどその頃の私はとにかく「関東」しか眼中になかった。
それから、他の大学をずっと調べる日々が続いた。だけど、ここだ!!!と思える大学がなかった。疲れ果てた私は、ソファーに寝転んだ。
すると、
私は本当に調べたと言えるのかな。
与えられた選択肢にちゃんと向き合えているのかな。
あの大学調べとけば良かったとか悔いは残らないのかな。
と天井から問いを投げかけられた気がした。
そのとき、引っかかったのはAPUという大学だった。
もう1回調べよう。
ホームページを開いてみる。とりあえず、色々押してみる。
そして私は、「私たちが、世界を変える」と書かれた大きな文字と多国籍の学生たちが映っている写真を発見してしまった。
「なんだこの面白そうな大学は!!カッコ良すぎる!!」
と私は一目惚れしてしまったのだ。(単純)
併願校ここでいいじゃん!と思ったと同時に、実際に行ってみたいと思った。
イベント情報を見てみると二週間後にキャンパス見学会があることを知り、参加することを決めた。
5月。実際キャンパスに訪れてみた。
キャンパスを歩きながら「あー私ここだ。ここな気がする」と思った。
「ここが良い」というより「なんか落ち着く」という感情。
完全にフィーリング。直感。
歩くだけで、色んな言語が聞こえてくる。
ここで4年間を過ごしたらどうなるんだろう。全く想像できなかった。
だけど、間違いなく、満面の笑みで楽しそうにしている自分が見えた。
併願校として考えていたAPUだけど、帰る頃には第一志望校になっていた。
大学のブランド
だけど、先生にすぐ志望校が変わりました!とは言えない自分がいた。
それは、大学のブランドを気にしすぎている自分がいたからだ。
慶応SFCというブランドを捨てる選択は、そう簡単にはできなかった。
この感覚は高校受験の頃と少し似ていた。
合格するだけで、褒め称えられる進学校に行く選択。
合格しても、進学校行けなかったのかな?残念だったね…と勝手に決めつけられる事が多いけど、自分らしく頑張れそうな私立に行く選択。
結論、高校受験では、後者を選択したのだが、全く後悔は無かった。
むしろ周りの一時的な評価を気にせず、自分らしさを突き通した中3の頃の選択は正解だったと思っている。
体は感覚的にAPUに行きたがっている。
でも、どこか周りに評価されたくて、SFCに行きたいと思ってる自分。
評価されたいとか思ってる時点で、「学びたい」が一番に来ていないことも理解していたし、今の私はこの選択をすべきではないと冷静に分析している自分がいた。
頭の中は、「SFCに行きたい」が50%、「他者の評価じゃなくて自分を軸にするんだ。だから行かないで。APUに行くんだ」が50%。
もう、自分が分からなくなった。若干二重人格みたいな感じ笑
親に反抗したことない私も、もう分かんないよ!!って家族に当たり始めた。「なら、どっちも受ければいいやん」と言われ(確かに正論)
「そんなのはできないの!」と泣きながら訴えたり。
とにかく、選択することが怖かった。
今思うと、どちらかが正解でどちらかは不正解と思っていたんだろう。
それがきっと自分を苦しめたのだと思う。
時間はどんどん過ぎていく。
そして、不安は時間では解決できないのだと感じるようになった。
今の私に必要なのは、「悩むこと」ではなく「選択すること」。
選択しなければ、何も始まらない。
だから、もう決めよう。これだけ考えたんだ。
どちらかが正解とか不正解じゃない。
たくさん悩んで悩んで決めた選択は、どちらを選ぼうとも、私が「この選択をして正解だった」と思えるようにするだけだ。
そして、過去の私が未来の自分に向けて書いていた、成長日記を読み返した。そのノートには「自分らしさ」とか「ワクワク」というワードがたくさん書かれていた。最後は直感を信じてねとも書いていた。
じゃ、もうAPUじゃん。
それから、完全にAPUが第一志望校になった。
学部選び
APUは、アジア太平洋学部(APS)国際経営学部(APM)そして、今年新しくできたサステイナビリティ観光学部(ST)の3つの学部がある。
大学名にあるくらいだから、アジア太平洋学部(APS)やろ!
あ、でも、国際経営学部(APM)でもありかな。
恥ずかしながら、私はそんなふわふわとした考えしかなかった。
一般的には、行きたい学部がある→どこの大学にしよう?
という順番になりそうだが、
私の場合は学部というより、APUという大学に惹かれたため、「なぜ、その学部なのか?」と聞かれると曖昧なことしか喋れなかった。
先生方は私が留学にも海外にも興味がなかった過去を知っていたので
先生方にAPUに行きたいと話すと、首を傾げられることがほとんどだった。
そう、これでまた悩む。
不安を解消したくて、相談しているのにますます分からなくなって逆効果。
今思うと、私って承認欲求強いし、弱いんだよね。相談してる時点で
誰かに「それで良い」とGOサインを出して欲しかったんだと思う。
でもさ、先生も家族もみんな、「さくらが決めなさい」って感じなの。
あの人がこう言ったからという保険なんてない。
それなら、誰かに人生のレールを用意してもらったほうが楽じゃん。
正直、この発言が自分の口から出てきたとき、驚いた。
もう疲れた。しんどい。気がついたらまた寝転がっていた。
そして、思い出した。
私は、何かを見落としている可能性が高いということを。
真っ先に浮かんだのは、サステイナビリティ観光学部(ST)。
パンフレットにも3つの学部が紹介されているのに、なぜか私はSTの紹介文を詳しく読んでいなかったことを思い出した。
お気づきかもしれないが、これが私のダメなところだ。
勝手に「これは違う」という先入観を持ち、最初から全てを見ようとしない。天井に感謝(?)
STを調べていくうちに、社会起業だったり、コミュニティ開発だったり、地域のフィールドワークだったり、APS・APMに比べて学び方や学びたい事が自分に合っている感じがした。
そして、STはよくよく考えてみれば、2023年春にできた新しい学部。
卒業生もいないし、どんな学部にしていくかなんて自分たち次第。
今の時代、どこの大学に進学しようと、将来に対する保証はない。
それが、もろに感じられる学部で、自分たちの未来は自分たちで切り拓ける精神になれる気がした。
自分らしさを追求できそうな気がした。
そして7月。私の志望大学、志望学部は
立命館アジア太平洋大学 サステイナビリティ観光学部に確定した。
Xのタイムラインに現れた先輩
これまで、APUの先輩いないかなー?と探していたんだけど、APU生は、ほとんどTwitterしてなくて、先輩と繋がることを諦めていた。
だけど、STにしよう!と決めた1,2週間後かな?
APUの学生という文字が書かれた投稿が流れてきた。
その先輩のアカウントにたどり着き、見てみると
まさかまさかのAPUのST学部だったのだ。
そして、DMを送ってみた。結果的に、この先輩にはたくさん助けられ、あの時DMを送っていて良かったと思っている。
その先輩と夏休み、何度かZoomをしたんだけど、1ヶ月くらい日本にいなくて、話すたび、滞在している国が変わっているのだ。笑
そんな先輩と話していると、私の軸である「置かれた場所から幸せな空間をつくる」の「置かれた場所」って何なんだろうと思うようになった。
これまでの置かれた場所は高校だった。その次は、大学?
他には?その次は?考えてみるけど、想像できなかった。
でも、世界のどこかに自分はいる。
これまでは、日本でいいや〜状態だったけど、未来の置かれた場所は日本ではないかもしれない。視野が一気に広がった瞬間だった。
日本ではない場所。ということは、価値観も文化も宗教も違う場所。
そんな場所で「幸せな空間」を私は作れるのだろうか。
そんなことを考えると、これからの4年、大学生活では、価値観も文化も宗教も異なる人たちと関わって、自分なりに「幸せな空間」をつくってみたいと思うようになった。
APUに行く、STに行くという選択をしてから、
完全に後付けだけど、やってみたいことが増えている。
留学にも海外にもあまり興味のなかった私だけど
APUという大学の存在を知って、価値観が変わりまくっている。
そして、大学のコミュニティに依存することもなく、実際に世界を旅して、学びつくそうとしている先輩の姿は憧れであり、私の固定概念をぶち壊してくれる、大切な存在だ。
Twitter本当にありがとう。(いまだに意識しないとX呼び出来ない)
最後に
先月11月1日に無事、APUから合格を頂き、2024年4月からは、
立命館アジア太平洋大学サステイナビリティ観光学部に進学します。
苦しい時、相談に乗って頂いた、支えてくださった全ての皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。
今回のnoteは、これからどんな人生を歩むのか分からないからこそ、高校3年生の私が何を感じ、どう生き抜いたのかを、記録してみました。
自分の弱さを大公開しちゃった気がして、正直、恥ずかしいです。
でも、みんなきっと悩みを持ってるし、みんな弱いんだと思います。
自分の悩み、横にいる子の悩み、悩みは人それぞれ違います。
分かってるんです。
だけど、あの人はすごいから、私の悩みなんて小さいものだよね。だとか私は、よく周りと比べて、落ち込むことが多いんです。多かったです。
でも、今思うことは、悩みに大きさなんて関係ないということ。悩むということは、それだけ自分と向き合えている証拠なのだと思います。
周りと比べてできないことがあると辛いし、
あの子は良いなと思ってしまう。
だけど、嫌だな・変えたいなと思う自分がいるだけで、自覚できているだけで十分、偉いと私は思います。
私は、受験期たくさん泣いていたのもあって
「これからもっと辛いことはあるんだから、強くなりなさい」
と言われたことがありました。
私はこの言葉がなんか嫌いでした。
今でさえ辛いのに、これ以上の辛さを考えると
私はもうダメだ。所詮、私なんて…という思考にしかならないからです。
弱い自分、泣いちゃう自分も、大切な自分。
でも、強くなれなんて言われたら、今の自分を否定した気がして
自分をもっと苦しめちゃうだけでした。
だから、無理に強くなろうって、焦らなくて良いんだと思います。
焦っちゃう時は、
人生100年時代なんだし、まだ5分の1、ゆっくり行こーよ。
これを言い聞かせてます。笑
私は自分が思っている以上に弱い人間でした。脆い人間でした。
だけど、自分なりに考えて、もがいて、今という一瞬一瞬を重ねた先には
新たな出会いや発見があって、未来がちゃんとありました。
人生は選択の連続で、不安は付き物。
これから、もっと色んな自分に出会うはずです。
だから、幸せを感じてニコニコしている私も、怖くて不安になっちゃう私も
どんな自分でも受け止められる、ちゃんと愛してあげる人間になりたいと思っています。
受験を通して、またちょっと成長できた気がしています。
ま、終わりよければ全て良しってことです。
でも、大切なことは、大学に受かったということではなく、
ここからどう生きていくかなので、残された高校生活4ヶ月をまずは大切に、まだまだ成長するためにも挑戦していきます。
そして、暗闇にいた私を笑顔にしてくれた人から言われた
「今度は、さくらが色々な人を笑顔にさせてね!」
というメッセージを使命として、生きていこうと思います。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?