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25年目の記憶。

2022年5月10日で、俳優デビュー25周年、
そして同月15日で40歳となった愛する俳優に出会ってから、同じく25年が経った。
わたしの一年は今年も主に舞台演劇、映画、ドラマ、ラジオ、ドキュメンタリーと、つまり藤原竜也さんに注がれてきた。
何せ行動原理がいつだって彼にしかない。
予定がブッキングしたら舌を噛み切りたくなるほどつらいのも、ふと見上げた綺麗な空に思い浮かべているのも、本屋さんで、映画館で、駅で、カフェで、テレビの前で、布団に包まれて、もはや仕事中でさえも、
瞼の裏に浮かぶのはいつも同じ彼の笑顔や、澄んだ横顔なのだ。
こんな調子で一年を振り返ろうとすると何からなにまで書き散らかしてしっちゃかめっちゃかになってしまうことは避けられない。
まあ自分のために続けてるものであるので、書きたいようにすればいいのだけど。そもそもなぜ今年になってnoteというものを始めたのかと言うと、25年、生きてきた年とそう変わらない年月注いでは溜めてきた激情を、どこか心の外に留めておきたくなったからだ。読み返すのも不便だといけない。
人生の四半世紀にわたり生きる道標であり、支えとしてきた実感を強くしたこの一年を、なるべく簡潔に振り返り、時系列にそって、日記っぽくまとめてみる。



朝、目を開けると天気が良かった。日課の筋トレと掃除をして、頭がスッキリしたらもっと目が覚めるようなコーヒーを淹れる。それを飲みながら『ハムレット』を観つつ支度もする。

第一独白「ああ、この固い、あまりに固い肉体が、溶けて崩れ、露と流れてくれぬものか。」と、全身で声を震わせ目に涙を溢れさせる姿。死んでしまいたいほどの絶望を抱えながら、死ぬこともできずに泣くその言葉が深く刺さり、目の奥がジワリと熱くなってこぼれる。毎日観てるのによく飽きないねと親友にも呆れられる。自分でも、一日の始まりからこんなにティッシュを消費することはないだろうと思う。けれど、自分のやるべきこと、果たすべき理想を掲げながら、次から次へ襲いくる絶望に足を止められてしまうデンマークの王子様の物語は、何かと息苦しい人生の傷口に寄り添ってくださる。

出かける前にSNSの通知をチェックする。竜也さんの公式から何かあったみたい。そう言えば応募していた、映画『ノイズ』 のジャパンプレミアの結果が出ていたらしい。メールを確認するのが遅くなったけれど、日本最速上映で竜也さんの最新映画を観て胸躍らせ、さらにはお姿を拝見してお言葉を聞けるなんて……良いこともあるものだ。かみさまに感謝。
映画のおかげで、15年ぶりに主役で共演となった松山ケンイチさんといろんなバラエティに番宣で出演された。差し入れお土産対決で知った、東京駅で行列になるほど名物の『中里』の揚げ最中をお気に入りリストに入れる。(すごく美味しかった)


最も大きなニュースが飛び込んできたのもこのときで、あの『ハリー・ポッター』の舞台に主演で立つらしい。何を考えているんだホリプロ。まず思ってしまった。舞台、無期限ロングラン上演、三人のハリー、赤坂ACTシアター専用劇場改修、……??
バレバレなキャストクイズを焦ったく思いながらもいざ出演が発表されてから、一気に出される情報に戸惑ったのはきっとわたしだけじゃないはず。いやみんな結構ノリノリでいる……。それもそうだ。世界で愛される作品の主人公、ハリー・ポッターの19年後を演じるのが、演劇の遺伝子を受け継ぎ舞台に立ち続ける愛してやまない藤原竜也さんなのだ。嬉しくないはずがない。
本国イギリスチームによるオーディションで選ばれたことも、蜷川さんとの始まりの地だったロンドンとのご縁も含めて嬉しい。とてもとても誇らしくて身震いがするとともに、慌てて『ハリポタ』の履修をしに本屋に走った。原作を読んで、映画を観て、英語の発音が気に入り原書も読んで、また映画を……

https://www.fashion-press.net/news/58352

プレ公演のチケットがまさかの先着のみ。やっぱり何考えてるんだホリプロ……!隠せない焦燥と共になんとか勝ち取りたい日程と、事前登録の準備も済ませておく。なんやかんやとドタバタして、楽しみつつも息切れ……いや、何度目かのホリプロへのため息をつきながら、まあ、もう長い付き合いだ……と、天を仰ぐ。

新宿に行った。蜷川実花監督の新作映画公開を記念した上映会があった。平山夢明原作へのリスペクトをエンターテイメントに咲かせながら、竜也さんと蜷川さんとの関係を強烈に繊細に大切に描いてくださった映画Diner を再びスクリーンで観ることができるなんて……!
またしても天を仰ぐ。蜷川幸雄さん亡き後、ポカンと空いた寂しさと不安に「一番かっこいい竜也を」と、そっと花で彩ってくださった蜷川実花監督には感謝しきれない。「やるのかやらないのか。」心に抜けない言葉を突き刺してくださった。


ずっと走り続ける、その姿勢の良い背中を追いかけさせていただきながら、心が折れそうにもなる。
ご活躍する姿に疲れたりだとか、嫌になるとかそんなことは絶対にないのだけど、子どもの頃はただ夢中でいられた大好きな人を、大人になってからも満足のいくまで堪能して癒されたら、ちょっと一息つきたいときもある。そんなときも再び立ち上がらせてくださるのは竜也さんだ。
ハーマイオニーのように努力すること自体に夢中になれたら良いんだろうけれど、ハリーのような天才的なセンスも備わっていないわたしは、どちらかと言うとロンの気持ちがとてもよく分かる。ウィーズリー家大好き。19年後、3人とジニーで、みんな家族なのが良い。仕事のために準備中の国家資格のテキストを進めながらそんなことを思う。
気がつけばもう、舞台『ハリー・ポッター』の開幕だった。

幕が上がり、光が灯り、ステージが息づいていく。
流れるようなその動きに目を奪われているうちに、もうそこは魔法の世界だ。
竜也さんのハリーが歩み出てきた瞬間の会場全体の熱量をきっとそこにいる誰もが感じ、忘れることはないだろう。
周辺に座る人も、そしてわたし自身も、鼻がツンとして溢れ出た涙を拭う。
待ってました!という声が聞こえるような拍手喝采のなかハリーの第一声が澄み渡り、空間に響いた。
映画のハリーの言葉で一番好きなせりふがある。

「すごいことみたいに聞こえるけど
運が良かっただけだ。いつも何かに助けられた」

映画『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』より

そして舞台のハリーに“繋がっている”と感じたのは

「これまで1人で戦ってきたことはない。
これからもだ」

舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』より

ハリーの等身大な姿が見えたように感じたと同時にこれまで、15歳からずっと一人で座長としての責任を背負い続けてきた竜也さんの言葉でもあるように思えた。公演中止と竜也さんご自身の罹患の連絡に胸を痛め気を落としながら、カンパニーと竜也さんの無事を祈って毎日神社にお参りした。
再びハリーとして舞台に立って、通る声と輝く瞳のその姿を観せてくださって、涙が止まらなかった。

NHKドキュメンタリー番組プロフェッショナルでの記事でもまとめたけれど、張り詰めるような緊張感を常に高く保ちながら、周りを気遣い愛に溢れる、そんな竜也さんが「今はラクな努力をしている」と仰ってくださったことが何よりも嬉しい。


劇場を行き来しながら思う。人生で初めて『ハリポタ』に触れてから、より一層同じ国で生まれた演劇文学、シェイクスピアの魅力にのめり込んだ。特に彩の国シェイクスピアシリーズ再演作品の二つ、『ヘンリー八世』と『ジョン王』による勉強会と、早稲田大学で松岡和子先生の展示が続いたことにも後押しされた。というかありがたかった。こんなに松岡和子先生から直接お話を伺えるなんて……!

演劇博物館の展示に行くと、去年同シリーズで上演され竜也さんも出演した『終わりよければすべてよし』での台本をみることができる。
翻訳段階の原文だけでは、王に命じられた身分違いの結婚に差別的嫌悪を示しヘレンを罵倒するような最低貴族男であった若きバートラム伯爵が、稽古場で竜也さんの生きたお芝居を観ることによって母性を抱くような慈愛を覚えさせ、本来の翻訳から少し変えることがあったと言う。
この自由さが『舞台ハリポタ』でも感じられた日本語翻訳劇の魅力である。解釈が多様な日本語だからこそ、演じる役者によってさまざまな表情や心情を見せることができる。「舞台脚本は稽古場で完成する」と松岡先生が仰る言葉に、まず浮かぶのはやはり竜也さんだった。自信をつけるには稽古しかない。本を読みせりふを細胞に染み込ませ、稽古を繰り返すことで自分のものとする。そうして言葉をも肉体として役を生き、観客に届けさせる竜也さんによって生まれる奥行きやリズムは、15歳初舞台で身毒丸を演じてから染み付いているのだろう。

シェイクスピアに限らずだけど、本や戯曲に浸るときはカフェと決めている。淹れ方にも豆にもチェーン店とかにもこだわりはないけれど、無口な店主と笑顔がかわいいお母さんがやっているような、コーヒーが美味しくて、さらにカップが可愛い店だとなお良い。街の雑踏に溶けながら新しい本を読んで、また改めて戯曲を読み解いたり、好きな文章に浸りきりながら、また竜也さんのことを考える。次はこんな芝居が観たいな、とか、あの時に戻りたいとか、取り留めもない思考の時間が好きだ。


そして竜也さんのお仕事、とりわけお芝居について考えるならやっぱりお酒を飲みながらが一番。行きつけにさせていただいてるお店が、海鮮居酒屋、焼き鳥、バーが何軒かある。どこも毎月1〜2回は顔を出してそこでも竜也さんの話をする。お寿司がいいなぁ。少し遠くてもいいから、劇場の近くで気の良いマスターと話しながら竜也さんのお芝居の記憶に浸りたい。よし埼玉行こう。そんなかんじ。
何杯目かのハイボールを流しんで、やっとiPhoneを見ると通知が溜まっている。
夕方はラジオも含め公式さんが活発だからなぁ、なんてのんびりしていたら、悲しいニュースと嬉しいニュースとが同時に飛び込んできて、酒で緩んだ涙腺が崩壊した。大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で和田義盛を好演し、そしてわたしにとってはかけがえのない、日本を代表するシェイクスピア俳優の一人である横田栄司さんの心身の不調による休養……。舞台を中心に、止まることなくテレビや映画でも活躍し続けてきた姿に心配もあった。だからこの機会に、ゆっくり休んでほしい。楽しみにしていたジョン王は無念だろうけれど、一番は「生きてさえいれば」と、それだけだった。うん……。でも嬉しいニュースは、そんな横田さんが長くナレーションを務める番組『ギョギョッとサカナ★スター』で、竜也さんが代打としてナレーションを務めるという……!天を仰いだ(3回目)。いや、もう、言葉にならない……。
関係性の深い役同士での芝居を長くしてきたことも芝居の後ろにあるご本人たち同士の絆も、涙が止まらなかった。やっぱり飲んでないといられない。

シェイクスピアの話に戻る。早稲田演博の松岡和子先生の関連で、蜷川幸雄主宰『さいたまネクスト・シアター』を中心に発足した演劇ユニット「第7世代実験室」による実験室と称したイベントに行った。まさか当たるなんて。いつも通り、メモ帳と関連資料を開きながら俳優さんたちと松岡和子先生のお話に食らいつく。そこで内田健司さんから「シェイクスピアの言葉は、拍動のリズムと一致すると美しく聞こえる」のだという話があった。

https://www.waseda.jp/enpaku/ex/16660/


これにも竜也さん、そして横田さんの口跡がすぐに浮かんでくる。独特な言い回しで弁論大会のように主張し合う『ジュリアス・シーザー』や、会話しながら自身の心情を詩の韻律にのせる『ハムレット』でのお二人の言葉は、聞いているだけで心地よく、耳に馴染んで意味をとらえやすい。そのリズムや音の響きは、息継ぎが滑らかなのだ。もちろんお二人だけではないのだけど、この“日記”では割愛させていただく。
拍動…脈拍……「この脈は、あなたの脈と同じように落ち着いて、健全なリズムを刻んでいる」と、そう母ガートルードに囁き責めるハムレット殿下の言葉が過ぎる。相変わらずな自分の思考回路に辟易しつつ、きっととんでもない倍率だったはずのイベントで愛しい俳優に思い馳せられるお話を伺えたことに頬も緩む。
ああ、こんな夜は本当にお酒が美味しい。


まだまだ書き足りないけれど本当にざっくりと一年を振り返り、本当にいつも竜也さんのことしか考えていないと改めて思う。しかし今年はまだ見ぬ竜也さんの可能性だけでなく、触れずにきた名作と出会いのめり込むことができた。
日々、胃の健康を気遣ってくださる胃識マネージャーも、表情やシチュエーションのバリエーション豊かに優しい笑顔と言葉で癒してくださった。
お誕生日だけでなく、春夏秋冬、たくさん秩父へも訪れた。3年ぶり開催となった秩父夜祭の情景、音が瞼によみがえる。

25年目の記憶の手帳も、愛する竜也さんでいっぱいだ。
こんな感じでも、お時間を割き読んでくださる方がいることに心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。読書も映画も観劇も、来年はもっとたくさん書いていけるように、そして好きなことをもっと深め書いていきたいところです。

2023年1月8日スタート日曜劇場『Get Ready!』

そして2月にはまたファンイベントで竜也さんにお会いできる(かもしれない)(当たりますように)。
新たな喜びも、日々自分の中で培養されていく愛しさも幸せも、一日一日を大切に生きていけますように。
そんな日常を、どうぞお暇な折に覗いていただけたら幸いです。

寝る前に決まって観るのは『太陽は動かない』。
でも大晦日は寝ずに大河ドラマ『新選組!』を一気に48話。

来年も藤原竜也さんにとって、幸せで実り多い年になりますように。


秩父 武甲山