見出し画像

小ささの大きさ日誌〜生後6ヶ月目〜

“年”という単位があるからか、なんとなく1年を大きな区切りとして意識してしまう。誕生日や年始などに「今年の目標は?」「こんな1年にする!」という言葉が出てくるように。

そんな意識は、このあいだ生後7ヶ月を迎えたお子に対しても同じなのだけれど、1年という区切りに向けて折り返し地点を過ぎたらしい。え、1歳が近いの? 嘘でしょ?

「いや、あと5ヶ月もあるし。まだまだやん」と冷静になだめる自分を、「なんでやねん!5ヶ月なんて秒で過ぎたやろ!」と激しくツッコむ自分がいる。

そう、あっという間なのだ、きっと。気がついたら仰向きで転がっている時間は少なくなったし、うつ伏せで両手両足を浮かす「飛行機ブーン」と呼んでいた姿勢もしなくなった。すぐに1歳になるし、すぐに小学校に入り、すぐに手を握ってくれなくなるんだろうな。

毎月のことなのに、新鮮な気持ちで「大切に振り返ろう」と思える。積み上がった過去と、積み上げていく未来を抱えるために、お子とのいまを見つめていきたい。

イベント出店についてきてくれたお子。後ろでおしりをふりふり。

最近強く感じるのは、妻とふたりの生活じゃなくなったんだな…ということ。「半年以上も経って、今更かよ!」という声も聞こえてきそうだけれど、いままでは<ふたり+お子という謎の存在>という感じで、あくまでもふたりがベースにあった。言い方を選ばずにいうと、ペットに近いのかもしれない。2でも3でもなく、2.2人くらいな感覚。

それもそうで。睡眠や食欲など、僕たちにはとうてい制御できないものをお子は持ち続けているけれど、それは生理的欲求でしかない。約半年かけながら、他でもない“お子”という存在の意思がにじみ出てきて、2.2という数字になっていた。

そんな2.2が、この1ヶ月で2.6くらいに跳ね上がった気がする。「これがしたいの!」という主張を感じる場面も、生理的欲求を意思が上回る場面も多くなった。

はいはい(もどき)ができるようになって、探索範囲が広がったことが跳ね上がりの着火剤だった気がする。もともと好奇心旺盛だったお子なので、もう文字通り縦横無尽に部屋を動き回っていて。余りのペットボトルでつくったおもちゃをはむはむしたと思ったら、アイス型歯固めを握りしめ、ボールを叩いては、僕の水筒の蓋部分を一心不乱にペロペロしている。

興味を向ける先が移り変わりながらも、時折見せる集中の深さ。じぃっと眺め、世界にお子とその対象しかいないような時間が流れる。不可抗力でそれを邪魔してしまうと、そのとき持っているもので床をバンバンし抗議の音を出してくる。ごめんて。

いままでは「お子が転がっているなぁ」だったのが、「お子が僕たちや世界に干渉してくるぞ…」になった感覚。存在感が増してきた。

抱っこしていれば落ち着いていたのに、最近は「出せ〜〜動きたいの〜〜〜」ともぞもぞして、僕の腕から脱出しようとすることも。わずかな面積しかない僕のベルト部分を蹴り上げ、身体をよじ登ろうとしてくる。

まだ言葉を発さないから2.6くらいだけれど、3という数字はすぐそこなのだろう。お子が人間になっていく。いや、最初っから人間で在り続けているんやけども。

それと同時に、僕たちも親になっていっているのかな。でも、僕たちはいつまでたっても“親”として胸を張れない気がする。責任の放棄とかではなく、同じ人間に向き合う者として。あなたから学び続けさせてね。

ペットボトルを捕まえていたお子。垂れそうなほっぺがたまりませぬ。

お子はどんどん人間になっていく。この子は、どんなことを考えて、どんなことを思って、なにを好きになり、なにに怒り、なにに悲しむのだろう。僕たちの願いはもちろんあるのだけれど、それは応援旗にもなり得るし、足枷にもなり得る。大切なのは、この子自身の感じたこと。とはいえ「あなたの思うようにやればいい」の一点張りでは、対等な人間ではない。行き過ぎたそれはもはや、形を変えた権力構造な気がする。

みたいなことを考えれば考えるほど、この子の人生に与えてしまわざるを得ない影響にゾッとする。

例えば。僕と妻の間にちょっとピリッとした空気が流れたとき、お子はそのとき泣いていたとしても、ピタッと泣き止む。もともと下がり気味の眉をもっとハの字にして、僕たちの顔を交互に眺めている。既になにかを察知し、空気を読みはじめているのかもしれない。

まだできる動作や話す言葉が少ないから気がついていないだけで、僕たちの無意識の言動を真似ていくはず。

「人はそこにいるだけでなにかしらの影響を与えている」といった考え方がある。うろ覚えなので、どういう文脈で知ったのか忘れたけれど。なにも喋らなかったとしても、それは無言を選択したという意思の現れとして、場や相手に影響を与える。どんな言動をしたとしてもしなかったとしても、なにかしらかのメッセージが発されてしまう。

お子は、そんな毎秒のように出ているメッセージすべてをフラットに受信する。その欠片でできたパッチワークが、全てではないにしろ、お子という存在のたしかな一部分を築く。僕たちだけではない。いろんな人、モノ、世界から受信して、お子はお子になっていく。

2が2.2になり、2.6に跳ね上がった1ヶ月。こんなことを考えたとき、「怖いな」と感じる自分で在り続けたい。ここで「親を見て育つんだから、ちゃんとしなきゃ…!」という悪癖が顔を出すと、僕たち自身が笑えなくなってしまうし、それは確実に応援旗ではない。

この振り返りで何度も書いているけれど、お子から学ぶことばかり。今年29歳になる僕だって、人間に、僕になっていく最中なんだろうな。同じ修行の身。どうぞよろしくお願いします。

妻目線の6ヶ月振り返りはこちら


最後まで読んでいただき、ありがとうございます。 あなたが感じたことを、他の人とも分かち合いたいと思ってくださったら、シェアいただけるととっても嬉しいです。 サポートは、新たな本との出会いに使わせていただきます。