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張りぼてのことば

前回のnoteを妻に読んでもらったとき、

いつもの自分に酔ってる感がないね!

と言われた。「あ、いつもの文章も好きだよ」と言い添えるのも忘れずに。

↓ 前回のnote ↓

さすが、するどいなぁ。僕が書いたほとんどの文章を読んできただけはある。


このnoteは、「いつもだったら誤魔化すなぁ」とか「いままでだったら違う言い回しにしたなぁ」とか思いながら書いた。

泥だらけの覚悟、とタイトルにつけたけど、その覚悟が滲んでいたのかも。

文章(というか“ことば”)には、“その人”が現れると信じている。だから、自分が使うときには、ビクビクしながら、震えながらキーボードを叩いている。口で話すときは、ちょうどいい言い回しが思い浮かばずに、話した後に自分で首をひねったり、後悔したり。

ことばを使った後は、決まって「どう思われたかな」と気にしてしまう。“その人”が現れるから。

そんなことを考えているから、ことばの方に細工して、「どう思われるか」を操作しようとしてしまう。意識的に。

でも、そうやって誰かの視点、ひいては社会の視点を持ちながら、ことばを使い続けていると、現れるはずの“その人”がいなくなる。張りぼての出来上がり。

僕がそうなんだろうなぁ。張りぼてのことばかぁ。やだなぁ。


泥だらけの覚悟を示すため、まずはことばから。要は、見栄を張らないってこと。虚勢がないことばを使っていきたい。

本当はずっと前から「見栄を張らない」を見ていたのに、見栄を張っていたから選べなかったんだろうなぁ。

とか言いながら、ついつい聞こえのいいことばを並べようとしている自分。そういうとこやぞ。

少しずつ、ことばと僕を近づけていこう。

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