ガシャンガシャンじゃなくてユラユラと。
写真は、先週お手伝いしにいったイベントにて。こっそり。
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“!”を多用している自覚がある。誰かへのメッセージにおいて。
「ありがとうございます!」
「嬉しいですー!」
「よろしくお願いします!」
別に“!”のテンションが間違っているわけではないけれど、読み返していて恥ずかしいやら違和感があるやら。どちらにしても、僕的に気持ちよくない。
それは、僕の心情表現のためではなく、相手に冷たい印象を与えないためでしか、“!”を使っていないからだと思う。
そしてそれは、僕自身が句読点だけのメッセージを受け取ったときに、「怒らせたかな…」「何かしでかしたかな…」などの余計な考えが渦巻いてしまうから。
だからこそ、嫌われたくなくて、「なんだアイツ」と思われたくなくて、“!”を多用する。
結果、のっぺらぼうのような文章ができあがる。感情が読めない文章。人相が現れない。
よくよく考えると、それはメッセージだけじゃない。無理した笑顔、明るい声(明るい声なんて聞いたことないぞ、という意見は置いておいて)。
誰かとコミュニケーションをとるとき、その相手にどう思われるかを極端に気にして、上振れたスタンスで臨んでしまう。
鎧を着込んでいる。
…みたいなことを考えたのは、写真のイベントで、飄々として何を考えているのか分からない人に再会したから(良い意味です)。
久し振りに、その人の佇まい・振る舞い方に触れて、あぁ良いなと思った。
決してブレない軸がある…といった感じではなく、ユラユラ揺れている感じ。引いては寄せて、寄せては引いて。
勝手な想像だけど、「こう見られたい」がないんじゃないかなと思っている。
そもそも、自分らしさなんて画一的なものじゃない。その時その時の自分でいようとしたら、自ずと揺らぐはず。
その人は、裸のまま、自分という揺らぎに身を委ねている気がした。
あぁ良いな。僕は、ガシャンガシャン音をたてる重い鎧を脱げるのだろうか。ユラユラと揺れていたい。
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