綾城でも友川らでもおけパでもない

少し前にとある漫画がバズっておけパが流行った。天才字書き=綾城と秀才字書き=友川など(他にもいるらしい)と天才字書きの友人=おけパという三者が描かれていた。綾城視点や友川視点、おけパ視点の人の経験談を読んだりした。別に大したことではないし記録に残すほどのことでは無いが考えを纏める為に文字を打っている。

まず、私がそれぞれの三者の視点の話を読んで感じたのは、わかる〜!!という共感だ。どの視点にもある程度共感した。
しかしどうも三者は様々な人の経験談の中で「分けられたもの」として語られているように思われる。(全ての意見に目を通しているわけではないが)

恐らく筆者は女オタクのあるあるを詰め込んだフィクションとしてこの漫画を私たちに提供して下さっている。だから私が三者共に共感するのもありえない話ではないと思うのだが…

それでは私は綾城でもあり友川でもありおけパなのだろうか?

それはおそらく違う。
私は一般的なオタク(右固定厨過激派ではあるが)でめちゃくちゃフォロワーと仲が良いわけでもなく毒マロなども送られたことは無いし、神と仲良くなりたくて頑張る程の熱意はないし、神と仲良くなって何かリプを送ったりしたことも無い。

だが、そのどれにも軽く覚えはあるのだ

たとえば綾城。オタク生活に限らず、学生時代に私以外と登校しないでと言われたりめちゃくちゃ懐かれたり褒められたりしたことがあった。綾城ほど何か引きつけるものがあった訳では無いが軽く身に覚えがあったりする。女子特有のそういうアレだと思う。

たとえば友川。私にも推し絵師がいる。イベントで手紙を書いて手渡して差し入れをしたりしたこともある。出されていた本やグッズは集めていたし、Twitterの通知も推し絵師だけオンにして逐一チェックしていた。私も絵を描く人なのでその方を参考に上手くなろうと頑張ったりもした。

たとえばおけパ。Twitter初心者ちゃん(笑)だった私はわけも分からず好き人にDMを送ってしまい、ひょんなことから仲の良い相互になったことがあった。空リプで絵の感想を言い合ったりしていてとても楽しかったが、彼女は私よりもお抱えのフォロワーが多かったので彼女のフォロワーからは私はおけパだったのかもしれない。

難しいね

分かっている。おそらく三者の話をしている人達は自分が完全にその三者に振り分けられると思っている訳ではなく、なんとなく近いものにシンパシーを感じているだけなのだろうと。
それでも三者にわけて語られるこの議論に少し嫌気がさしているのも事実である。なぜなら私はどれでもあり、どれでもないからだ。

私だけではない。
こう思うのは私だけではなく、かなり多くの人が思っていると私は確信している。

綾城のようなカリスマ性も、友川のような熱意も、おけパのような立ち位置も、なかなか持っていない人がほとんどではないだろうか。けれど、どこか身に覚えがある。私の世代には特にこういう人は多いと思われる。

この漫画は確かに興味深く共感の多いものであったが、Twitterでの意見を見ているうちに、どこか私とは違う遠い話に思えてきた。

私は

Twitterでの人間関係を深めることはデメリットの方が目立つので私はあまり積極的ではない。私は私が生きやすいように多くのミュートワードを設定し、通知を切り、アカウントをブロックしている。過激ではない。これは自衛だ。SNSで精神を乱されるなどまっぴらごめんである。
もちろん、SNSで精神を乱されている友川らを否定しているわけではない。私もオタクである。そういう原動力が強いのもわかる。かくいう私も逆カプを殴る(解釈)ために創作をしている節がある。
いろんな方の意見が読めてとても面白い機会を与えてもらった。筆者には感謝しかない。オタクの学級会議はこれだから最高におもしれぇな…と思う。

〔追記〕最近毒マロは喰らった

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?