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妄想爺のとんでも史観 (38)

妄想爺のとんでも史観 (38)

 豪族の娘

 世の中を定期的に賑わす皇位継承。
 女性、女系天皇を認めよ。という声と、この国が始まって以来、男子直系であるが故に認められない。という声。
 どちらも正解ですよ。
 って言うか、家族が仲良く暮らしていくには、矢面には男性が立ち、一家を仕切るのは女性というのが理想だと思いますので。

 奈良湖の耕作地への大改造を推し進めた物部氏と、豊かな国へと押し寄せた多くの地方出身者が、その地で出来るだけ争わず仲良く暮らしていくには、、、、
 と考え出されたのが、その時の隆盛を誇る地方出身者部族の長が、物部氏の女性の元へ迎え入れて貰う形の関係だったと思います。
 その頃の婚姻は、妻問婚や妻通い婚だったそうです。平安時代までそうだったようです。
 男性が女性宅へ訪ねていく。迎え入れても良い男性なら家族総出で歓迎する。嫌な相手なら門前払い、、、かな?お茶くらいは出たかも、お酒かな?
 現代の様な、重婚禁止や浮気不倫の類に関してはあやふやな時代だったのかもしれません。
 なんか今の若い方々の恋愛事情に似てますよね。気になった人が居れば、とりあえず誘う。恋愛と性行為は別。スポーツの一つって思う人もいるみたいな。
 この人だと思えば、その人を独占したくなる。違うと思えば、次に進む。
 そうじゃなく、たった一人の人を探し続け、それまでは行為をしない人もいたでしょう。
 男性に求めていたのは、、、、行動力や決断力、いえ調整能力だったのだと思います。困った問題を何とかする解決能力かも知れません。
 やっぱり、今と同じです。
 もちろん女性が、「他の女性に取られるくらいなら、いっそこの手で、、、、」みたいな事はあったとは思います。
 当人同士で、あるいは女性の親族が男性の現状や将来性や見て、決めていたと思います。
 しょうもないクズ男がモテるのは、最初だけではないでしょうか。

 話が逸れました。

 移り住んできた一族が、その暮らしを安定させようとすれば、農業生産や道具類の製造制作、土木建築、船運や牛馬による流通。特徴のある秀でた能力とか何かないと、無理でしょう。
 また、一族を養うためには継続的な食物調達は不可欠です。
 だとすれば、その時の若いリーダーや次期代表候補の男性が、有力な地元一族へ取り入りその一族の娘さんへアプローチし、迎え入れて貰う努力をします。
 その娘さんが気に入ってくれれば、その一族が味方に付いてくれます。
 若いリーダーは、自分たちの特技や特殊能力を娘さん一族へ提供します。
 WINWINの関係作りですね。
 二人の間で子を成し一族間の関係が安定して来れば、その関係のまま穏やかに暮らすことを選択した人もいたでしょう。
 子供が出来なかったり、他の有力な一族との関係を模索し始めれば、他の一族へとアプローチは変わったのだと思います。
 しかし、元々の一族間の関係はリーダー同士だけではないはずです。取り巻きの人同士や、業務提携関係者間での同様な事は起きるはずです。
 一部の関係者間で、食い違いや仲違いが起きても全体に波及しない様に、引きはがしたり遠方へ追いやったり、処罰したと言いながら他の一族へ預けたり、事を荒立てない方策を選択していったと思います。調整能力が必須です。
 物語の中では個人の諍いが、一族間同士の争いになった。としがちですが、実際には「そうはいってもねえ、、、」と打開策を探すと思うのです。
 本当に、調整能力は大切です。

 さて、奈良湖干拓と農地確保の進んだ奈良盆地に新興勢力が大挙して来ました。
 半島南部での加羅伽耶諸国(任那)からの避難民です。
 加羅伽耶諸国のそれぞれの王(リーダー)もいます。
 上記の様に、在地豪族の取り入る者やそれにあぶれる者、取って代わろうとする者。
 戦乱混乱、強奪侵攻、無秩序状態地域からの参入者は、、、在地の人々に取っては受け入れがたい事だったでしょう。
 未開拓地や不毛の地をあてがったりした事でしょう。
 それでも経済的な関係が有ったとか、遡れば同族だったよしみで開拓開墾の技術者を与え、体よく追い払われたと思います。

 その中で、百済王族 扶余豊璋の子供(と言われる)藤原不比等は、物部氏に取って代ってやろうと言う事にしたようです。
 それは最初からの目標目的だったのか、結果的にそうなったのかはわかりませんが。
 その時代の豪族の娘の典型的な代表だった、鵜野讚良姫(うのささらひめみこ)と関係を強化していきます。

 なぜか気になる持統天皇、鵜野讚良姫。

ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。

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