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妄想爺のとんでも史観 (18) 三位一体

妄想爺のとんでも史観 (18)

 三位一体

 奈良ヤマトに、三輪山があります。
大神おおみわ 神社は、この三輪山をご神体とする神社です。
 近くに箸墓古墳があり、三輪山の祭神大物主の妻だった倭迹迹日百襲姫尊命(やまとととひももそひめのみこと) の墓だと言われています。
 この大物主、ニギハヤヒ、物部氏の祖だと言う方もいらっしゃいます。

 謡曲 (能の詞章をうたうこと。その詞章。うたい。)に 三輪 と言う謡があります。

 思へば伊勢と三輪の神  思へば伊勢と三輪の神  一体分神のおんこと  いまさらんいといはくら(言・磐座)や
 そのせき(塞・関)の戸の夜も明け   かくありがたき夢の告げ
 覚むるや名残なるらん  覚むるや名残なるらん

 考えてみると伊勢と三輪の神とは
 もともと一体の神 それが二つに身を分けて出現なさっということは 今さら言うまでもない
 あの天の岩戸の その戸ざしの開いた時のように夜も明けてきて
 このようにありがたい夢のお告げが覚めてしまうのは まことに名残惜しいことだ
 本当に残念なことである

 伊勢神宮の神は、天照大神。三輪の神は大物主。それらが元々、一つの神だった。(同一人物?、同じ一族?、夫婦?、、、目的が同じだった仲間?)
 天照大神は、女性神だと教わってきました。私が大きな影響を受けた関祐二先生は、男性神だとおっしゃっています。
 伊勢神宮の内宮には、白い布に巻かれた丸太が立っているそうです。その世話をするのは、うら若き女性だそうです。
 その伊勢神宮の神が寂しいだろうから外宮に女性神、豊受大御神(とようけのおおみかみ)を、丹波の国から迎えられたそうです。
 丹波の国ですって、、、豊...ですって、、、

 ある書に、猿田彦は伊勢の 阿邪訶あざか の海で、比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ溺れ伊勢に祀られた。と言います。
 猿田彦の奥さんは、天宇受売命(あめのうずめ)だそうです。天岩戸の前で踊った女性。
 その猿田彦は、赤い顔に赤くて長い鼻をしています。いわゆる 天狗 です。
 天孫降臨神話、ニニギノミコトを天宇受売命(あめのうずめ)と共に、葦原中国(奈良湖のヤマト?)へ”みちびいた”と言う、導きの神です。
 (余談 時期GPS衛星は、サルタヒコ及びウズメノミコにして欲しいものです。)

 猿田彦神社と言うのがあります。伊勢の国などを始めその数全国で、約2千社だそうです。
 ちなみに一番多いのは、八幡神社。続いて伊勢系 4425社、天神さま 3953社、稲荷さん 2970社、熊野信仰 2693社、諏訪系 2616社、祇園さん 2299社、白山信仰 1893社 と続くそうです。
 全国に約8万社あり、祭神がハッキリするものだそうです。(明治の頃は 18万社あったらしいです。)
 意外と猿田彦神社は多いですね。どなた(どの一族)を猿田彦と呼ばれたんでしょうか?
 宗像系、住吉系、出雲系、氷川系、、、収拾がつかなくなりそうなので、止めます。
もちろん上記の神社数は、創建当時の数じゃ無く中世から江戸時代までの間に、一般の方々が勧進したり人の集まりやすい場所として新規に立てたりしたものが多いと思います。
 でも全く無関係な神様を祀るとも思えないので、何かしらのルーツとか憧れとかはあったのだと思います。

 三輪の神と伊勢の神、伊勢で亡くなった猿田彦。
" 島根県の沙汰神社。佐太大神は出雲国で最も尊いとされる四大神の内の一柱で猿田彦大神と御同神だそうです。
"
 出雲出身だったんだそうです。
 三輪の神が大物主で別名、ニギハヤヒ。 
 伊勢の神の外宮には、豊受の大神。出身は丹後の国。
 出雲出身の猿田彦。別名佐太大神。

 ヤマトと出雲と越の国。鏡と剣と勾玉。仲哀天皇と武内宿祢と神功皇后。

 三位一体。

ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。

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