妄想爺のとんでも史観 (11) 住吉
住吉
大阪市に住吉大社があります。
各地の海の近く、港に住吉神社があります。
昔は「すみのえ」と呼ばれていたらしく、その由来は、筑紫からお連れした住吉神がこの地に住むと言ったため、神功皇后が「真住吉住吉国(まさに住み吉き住吉国)」と讃称したことに由来とする地名起源説とか
一方で歴史考証学上では、「清らかな入り江(=澄み江)」を原義とする説が有力視されている。 By Wikipedia
神功皇后≒越の国勢力のパートナーは、出雲。
神功皇后の側近に、武内宿禰と言う方がいます。
応神天皇は、仲哀天皇と神功皇后の子となっていますが、ある書では、仲哀天皇が亡くなった夜に、皇后と武内宿禰がエッチした。と堂々と書いてあるそうです。
仲哀天皇はヤマトタケル(物部)の子と言われています。出雲、越勢力と一緒に九州に来た、物部一族の一人でしょうかね、、、、
内紛や意見の違いで、仲違いした物部一族が出雲、越勢力を追い詰め、リーダー格を処罰した。
その時の話が、宇佐神宮とか近くの 薦 神社に神事として残っているみたいです。
なかいま企画と言うホームページから拝借、、、
薦神社で八幡神の御神体である薦枕の材料の真薦を苅る。
宇佐宮下宮に戻り、鵜羽屋を造る。
鵜羽屋に大神氏の神官が17日間参籠し、一心に気を収めて、薦枕をつくる。
宇佐宮上宮の各神殿に新しい御神体を奉る。
宇佐宮上宮の旧御神体を下宮に遷す。
宇佐宮下宮の旧御神体を奉り、宇佐の八ヶ所の別宮を巡幸する。
奈多宮に宇佐宮下宮の旧御神体を奉る。
奈多宮の旧御神体を海に流す。
流したご神体は、豊後水道を横断し、伊予の国へ流れ着くそうです。伊予の国(トヨの国)、愛媛。
神功皇后の異名:、息長帯比売命(おきながらたらしひめのみこと)、豊受の大神(とようけのおおかみ)、、、
豊受の大神は丹後の神、越の国の沼河比売と協力的な一族。事代主の母。出雲と九州へ行った越の国の勢力。一族。
伊勢神宮の外宮の神。丹後の国には元伊勢宮。伊勢神宮の内宮、天照大神は元々、男神。猿田彦、スサノオ?、、、それとも大物主(ニギハヤヒ)?、、、
筑紫からお連れした住吉神。神功皇后とエッチした十月十日後に生まれた応神天皇。
武内宿禰が住吉神。越の勢力と同行した出雲勢力。
色んな事が繋がる。大まかな話が伝わる毎に少しずつ内容が変わり、伝える場所で、伝える人を変えたり、誰を心の拠り所にするかでまた変わる。
こじつけでしょうけど。時系列無視でそんな事は有り得ないと言われそうですが、元の話が時系列無視で伝わってるものですから、、、
で、武内宿禰が生れた応神天皇を連れて南九州へと避難するのが、天孫降臨。
その避難中の出来事が、もしかすると『出雲の国譲り』だったかもね。出雲の御神宝を、兄の筑紫出張中に弟の飯入根が、崇神天皇に使いへ献上したって話もあるし。
その後、ヤマト物部の地で疫病発生。「祟りじゃ、、、トヨの祟りじゃ。」で、崇神天皇が応神天皇を迎える。屈強で疫病に耐性のある隼人族を引き連れて。これが神武東征。
元々、出雲族や越の一族は全国に出向していたので、協力的な村は至る所にあった訳で、大阪で住吉の神を祀った。
そう言えば、崇神天皇って実はニギハヤヒって説もあるくらいですので、、、、物部氏の大王、大物主かも知れないですね。
本当にとんでも説だとは、思います。良いんです、どうせ影響力無いし、個人の妄想だし、自慰行為だし。
ではまた、お会いしましょう。
ごきげんよう。
やまとやじろべえでした。
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