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眠れない夜に出かけて

悲しみは消えるというなら
喜びだってそういうものだろう
教わらなかった歩き方で注意深く進む

大好きなBUMP OF CHICKENのHAPPYという曲の歌詞だ。

終わらせる勇気があるなら
続きを選ぶ恐怖にも勝てる
無くしたあとに残された
愛しい空っぽを抱きしめて
借り物の力で構わない
そこに確かな鼓動があるなら

あの声で歌われるからだろうか?あの才能が紡いだ言葉だと思うからだろうか?

やりたいことも増えて、大人になったから出来るようになったこともある。
でもなりたくて大人になったわけじゃない。

大人になるにつれて知らないことや知りたいことも減り、忙しさに感けて年に一度の誕生日さえ単なる平日に化けてしまう呪いにかかってしまった。悔しいけれどそれが事実なのだ。

小学2年生の作文に私は「将来の夢は魔法使いになること。この世から悲しい顔を消して、みんなが幸せになる魔法を世界中にかけたい」と綴っていた。

それに対して担任は「自分の手ではどうにもならないことがあるから、誰かと友達になろうと思うし、人の心が美しいと気付くんだよ。」とコメントをくれた。

当然当時の私にこの言葉の意味がわかるはずもなく、「何で幸せばかりじゃ駄目なのか、大人は可哀想だなあ」と思った記憶がある。

今になってこの言葉の深さがわかるようになった。大好きな人とさよならしたこと、努力は必ずしも報われるわけではないということ。あとは予想外の相手の行動に一喜一憂する自分がいること。でもそんな自分を愛おしいと思っているもう1人の自分がいるということ。

たくさんの経験をした。
現実を忘れる痛みがスパイスとなり、今までの当たり前の生活という味付けを変えてくれることも知った。
好きな人のいちばんになることがとても難しいということも22歳の私は学んだ。


そんなことを考えて眠れない夜に。

今日はどんな夢を見に旅に出ようか?

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